カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

カオスの顕現〜幸せな高円寺・荻窪滞在

先日は某友人(仮にSさんとします)宅にいた。

Sさんがしばらく出張で留守にするので

部屋を使わせていただけるという連絡をいただいたのだ。

その連絡も、別の方(仮にHさんとします)から突然LINEのスタンプだけが来て

Hさんはオールディーズのボーカルなので

来月のライブについて尋ねる返信をしたところ

Hさんからの着信があり

取ってみると「ハロー」と来たので

Hさんもずいぶんお茶目だと面食らっていると

実はSさんだった(笑)

Sさんのスマホは壊滅していたので

Hさんのを借りて連絡をよこしたのだ。

で、冒頭の流れになるわけだが

カギは共通のたまり場である店のママに預けるという。

Sさんの家はママが知っているという話だった。

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約束の日に店に出向くと、ママはマンションの名前を知らないし、道順も不確かだという。

カギの入った封筒には、部屋の様子を記した手紙は入っていたが、肝心のマンション名や道順はない。

「バカだね!」

と言いながらも、バックパックを担いだ私を心配して、Sさんの家を知っていそうな方々に電話をかけまくってくれる。

万策尽きたか、というところで一人、店内にSさんより少し若い男性がいて、Sさんの名刺を持っているという。

ママの記憶を頼りに書き出した地図と名刺をすり合わせて、その男性は自転車があるから確かめに行ってくれるという。

もしわからなくても、自宅だって帰ろうと思えば帰れる距離である。

まっ、でもその次に泊まる場所が近くに決まっているから、帰らないで最悪スーパー銭湯にでも泊まるつもりだった。

いま思えば、わからない方がもしかしたらよかったかもしれない(笑)

果たして、ママの記憶は正しかった!

話に聞いていたよりはSさんの家は遠かったけれど、多くの方のご協力を得て

なんとかたどり着いた。

そして、思ったよりはちゃんとしたきれいなマンションだった。

が、室内はやはりというか、恐るべきカオスだった(爆)

正直、ほとんどゴミ屋敷。笑

壁という壁はピンナップで覆い尽くされ

玄関までモノが乱雑に積み上げられ

人一人がかろうじて通れるスキマが空いているだけだった。

そのすごさに圧倒され、立ち尽くすほかなかった(てか、座る場所がない・笑)

小一時間立ち尽くす。笑

ここによく人を泊める気になったなと思う一方で

それを押しても泊めてやりたいという?情けの深さというか

それがこの人なりの優しさというものなのかとも思った。

女性なら、まずその部屋を見せようとは思わないだろうけど

それを気にせず(わかってない?)貸すというのは、

やはり愛のあり方、質ってのが違うのかなと

思わずにいられなかった。

というのは、部屋貸しを申し出てくださった他の男性も

部屋自体は片付いていたけれど

私的には泊まるに無理のある構造だったからだ。

物理的にも霊的にも

プライバシーが確保できない形状だった。

まあ今回は家主がいないから、なんとか私も

お借りできたわけである。

で、感じたのは

「滞留感」

とは、モノによってもたらされるわけではないということだ。

いかにモノが溜まっていようと、家主に停滞がなければ、滞留感は醸し出されない。

Sさんはプロカメラマンで、つまり表現者

それもかなり芸術色強い作風である。

表現とはアウトプットで、そのためには自分の内部、つまり意識、ひいては感情に向き合わざる得ない。

中身が垂れ流し状態なので、停滞とは無縁である。

だから部屋に入ったとたん、自分の内臓が強く動き始めた。

どういった人と付き合うかは重要だ。

ここに来て内臓が動くなら

家で内臓が止まるのは、やはり元夫の影響なのだ。

この部屋に比べたら元夫の部屋も

夏に部屋を貸してくれた人(仮にAさんとする)の部屋も、片づいている方だが

おそらく内に抑圧された感情や思いがあるから、停滞感が出るのだ。

モノや土地、死んだ人間の念より、

生きた人間の意識の方がずっと強い、

ということが、この例に表れていると思う。

で、彼らもモノ持ちはいいから

中の停滞感が溜まったモノとして現れているのだと思っていたが、

もちろんそういう部分もあるとは思うが、

Sさんの部屋を見て思うに

人間とは無限の宇宙を内包しているから

自然にしていればモノは増えるし

カオスが周囲に顕現するのだ。

モノを創り始めればとどまるところを知らないから

そうなるのは道理だ。

部屋にあったほとんどのものは

Sさんの創作物だ(いや、見えていない下の方はどうだかわからないが)。

部屋に入って立ち尽くしながら2時間

この人の作風はダリ的だと感じた。

そのカオスに向かうエネルギーに圧倒され、

しばらく軽いショック状態だった。

くつろげる感じでもないし

何かを食べようとも思えないので

そしてユニットバスもなんか臭うので(部屋自体に匂いはあまりない)

当初テイクアウトして部屋で食べるつもりだったがやめて

銭湯に行って安い中華料理店で夕食を済ませ

閉店時間の22時まで喫茶店で過ごして

部屋は寝るだけにする。

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(銭湯・弁天湯)

それでも寝るまでにまた1時間半は部屋で立ち尽くす。(笑)

ありがたいのは、ホテルと違って

誰が使っているかわかるから

安心して眠れること。

それでも真っ暗にしてしまうと

このモノだらけの中キケンなので

玄関の灯りは点けたまま。

普段より早く寝たので

3回は目を覚ましたが

わりとよく眠れた方だった。

なんか怖いのでTVもエアコンもつけなかったけれど

今回も秀逸な寝袋に救われる。

神の寝心地。

翌日はまず銭湯の

日曜限定の朝風呂でスッキリし

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(銭湯・なみの湯)

当然朝食も外で

日曜日なのでママの店も休みだし

高円寺界隈の喫茶店は宵っ張りの分

朝は遅くて

モーニングをやってるのはルノアールくらい

久しぶりにルノアールに入ってしまった(笑)

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実はルノアールのモーニングは初めて。

秋葉原に通っているころ

+60円、+100円でモーニングと書かれているのを見て、ずいぶん安いなと思っていたけれど

ブレンドが570円だから、まあ普通?(笑)

友人の家は、チェックアウトタイムが遅くて助かる。

その分そうした楽しみがある。

いつも掃除をして退去するが

ほとんどの箇所、触れないので

ユニットバスだけ

それも、古い汚れはそこそこに(笑)

というわけで、次のチェックインが16時なので14時前には部屋を出たが

なんだかんだで

妙に楽しい高円寺滞在だった。

この次の荻窪の女性専用シェアハウスが

天国のように綺麗で対照的なのだが

住人がいるので綺麗に使わなければならないし、音もあまり立てられない。

門限もあるし共用部の消灯時間は決まっているから、外で長居も限界がある。

バスタブはあるけれどシャワーだけで

栓がなく、シャワーの湯を溜めて少し浸かるというバックパッカーならではの技もできず

銭湯も線路の向こう側でいろいろあって諦めてしまい(駅前のスーパー銭湯は2000円もするので、宿泊費とほぼ同じになってしまう)

白木の美しい木造一戸建ての健やかさ、心地よさは存分に堪能できて、安心して眠れたけれど、

いい部分も不自由な部分もあって

トータルでは高円寺と比べて

どちらがいいかわからない。

荻窪は人や街の雰囲気も清潔だけれど

高円寺には人情と親しみやすさがあって

居心地良さが素晴らしいのだ。

楽しさでいうと、高円寺が良かったのかな。

この時期、高い樹のある中央線界隈に

無性に行きたくなる。

暑い夏もいいのだが

武蔵野の秋が堪能できる気がして。

心のふるさとになってしまっている。

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高円寺から荻窪に移る途中で

阿佐ヶ谷の某喫茶店に寄ったが、

北口から上に伸びるケヤキ並木が美しい。

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(阿佐ヶ谷のカフェ・ド・ヴァリエテさん )

宿をお貸しくださった皆様

温かい心遣いをくださった皆様、

どうもありがとうございました。

今回も、幸せな旅行でした。