先月、ある展示にて。
私はそこに3時間ほど詰めていなければならなかったのだが、ちょうどその作家さんが在廊で、そこに、学生時代のご友人が訪ねて来られたようだった。
他にお客さんもなく、親しい間柄に交わされる話ははばかりもなかったので
断片的だったが、つい内容が耳に入ってきた。
早い話、元パートナーとの齟齬である。
男性側は、互いを尊重、というより、自分が主で相手に従になってもらいたがるということだった。
世間一般に、というのではなく、彼女たちにとって結婚生活はそういうものだったということだ。
私にとっても、まさにそういった感じだった。
その作家さんは、結構いろいろな雑誌等で目にする売れっ子だし、
ご友人の作風は知らないが、ヨーロッパに長くお住いのようで、あまり凡人の雰囲気はない。
そういった人々についても、パートナーはそういう反応だったらしい。
私が手を焼いてきたのも同様のことで、つまりは、「自分より下でいてほしい」という思惑が、妬みや恨み、呪いといった私へのサイキックアタックとして現れていたわけである。
当の男性にはある意味あたりまえのことで、こちらからすると極めて得手勝手な思いなのだが、本人にその自覚はない。
それが当たり前の人にとって、その考えが偏ったものであると気づくことはできない。
どのようにことばを尽くしても、その考えのほころびを理解させることはできず、こちらの言い分は「正しくないもの」として砕け散り、受け入れられることはないのだ。
その男性にわかることもないことが、彼女たちにはよくわかっていて、私にもそのもどかしさがよく伝わる。
私には、彼女たちの言わんとしていることが、よくわかるし、よく見えるのだ。
しかし彼女たちの、そして私の元パートナーに、その考えが伝わることは決してないし、理解されることもないのだろう。
ああ、またかと私は思う。
おそらくその男性が考えるより、彼女たちははるかに優秀だが、それが見えることもないのだ。
私の元夫にも、私は彼に隷属する立場のものでしかない。
そうしてしかるべきなのに、なぜ妻という生き物は、それに反駁し続けるのか。
彼には決してわからないだろう。
そして彼女たちも、離別を選んだ。
その話を聞いて、彼女の作品がより理解できる気がした。
作品はギリシア・ローマ神話が題材で、女神のパワフルさ、奔放さがテーマになっているようだった。
少しシニカルで、ユーモアを交えて、それらは表現されていた。
そのようなことがあった日の前日は友人のライブがあって、
テーマは「女神たちの宴」だったが、あとから参加者に男性が増えてきて
「神々たちの・・」になった。
そして先月行った2回目のライブは「ミューズナイト」だった。
出演者が女性ばかりの日で、客はオタクがかった男ばかりだった。
女性たちはやはり天からことばを下ろしてきて、人々に聞かせている。
一人ざしきわらしのようなロリータ系アイドルがいて、最初はオタク好みにしているのかと思ったが、とんでもなくすごい神がかりな人だった。
彼女に乗せられてオタク男はうごめいていて、このすごさがわかるのはすごいとも思ったが、実際のところ男が彼女のどの辺りに反応しているのか、こちらからは判じ難い。
無意識的にはすごさをわかっていて、反応しているのだろうとも思うが、どうとも言えない。
至るところで、男の思惑と女の思惑がズレているのが見える。
社会的弱者が強者からは決して見えないのと同じようなズレだ。
今日も早朝の秋葉原の某スーパー銭湯で、若い女、おそらく地下アイドルのような女同士が途切れることなく会話していたが、それが追いかける男たちによって理解されることはないのだろうと思った。