とうとう今年も夏至を過ぎ、どんどんと日が過ぎてゆきます。
うまくいかなくても悩むけど、
うまく行ってもなんだか申し訳ないような怖いような気がして悶絶(笑)
気が、小さい(笑)
で、前回の続きっぽい話になりますが、
たつのゆりこ先生の「デリケートゾーン」についてのセミナーの翌々日は
タリカさんというタオイストの方のセミナーでした。
女性限定のセミナーと、男性も参加できるという実習講座との2本立てで
先のたつの先生のセミナーと合わせて3本立てで6000円という、お値打ちセットでした。
「タオイズム」というのは、もしかするともっと広範な概念を含んだものかもしれないですけれど
こちらのセミナーは、クンダリーニエネルギー(性的エネルギー)の活用で、覚醒を目指す、的な内容だったと思います(私の誤解でなければ)。
エクスタシーは覚醒に至る道の一つ、みたいな考えで
エクスタシーに至るために、(セックスを一手段として・ここではかならずしもセックスをすることを勧めてはいないし、特に男女間のセックスが必要ともしていない)
男女それぞれが単身でまずは自分の体、特に生殖器と、それにつながった部分の状態を整える、ということでした。
実習はその具体的な方法の説明で、マッサージのやり方などが指南されました。
タオ=道
ということですから、中国などの東洋的な考え方がベースになっているのだと思います。
長い時間を経て体系化された、叡智そのものですね。
で、その実習がすごかったね。笑
こんな方法があるんだ!とびっくりしましたが
少し聞いただけでも、体に効きそうだし、試す価値はあると思いました。
実は先日あるヒーリングを受けて、結果「覚醒する」という願望を捨て去り、
魂・肉体・精神(スピリット)のうち魂偏重だった考えを修正して
肉体と精神をもっと見直そう、という動きに、個人的になったんですね。
で、この流れでしたから、肉体を大切にするということへの導入として、こちらのセミナーは重要だったと思います。
私は魂を重要視するあまり、肉体や精神、特に精神というものを軽んじていました。
このマッサージをすると、かなりグラウンディングがされる感覚です。
続けていくうちに、いろいろ明らかになることもあると思います。
それはいいとしても、ただ、個人的に以前も書きましたが
クンダリーニエネルギーが上に上がっても、必ずしも覚醒はないね。笑
少なくとも私の場合で言えば、
「ああ、エネルギー、上がって来た」
それだけでした。
確かに気持ちよかったりはするし、多少は気づきや
ちょっと目覚めた部分はなくもないですが
でも覚醒には程遠い感じでした。
体内の不要な何かは出ていく部分もあるけれど
それが終わったら、またたまって行くし。
エクスタシーがあっても、
「エネルギーが頭の方に来たな〜」
って感じでした。
悟れません(笑)
ただ、自分がなくなったというか、自我が一時的になくなったし
何かとの一体感みたいなのはありました。
自分が融けたようでもあり、また自分がないので
外にもなんにもないというか、「無」みたいな感じ。
その瞬間にはなにもありません。
ないから幸せ感もないというか。
ブラックアウトしている感じです。
包まれているような一体感がある時もあるけれど、それは本当の無に至る手前とか過ぎてからとかで、エクスタシーの瞬間とは違うんじゃないか、
たぶんエクスタシーの瞬間は、ただ、「なにもない」んじゃないでしょうか。
だからある意味、エクスタシーは死なんでしょうね。
で、実際に死んだことはないから(少なくとも記憶にはないから)
わかりませんけど
実際の死にはもっとなにか、意識はあるような気がするんで
本当の死とも違うんでしょうね。
あ、でも最近聞いたんですが
本当の覚醒に至ってしまうと、全体と融合してしまって
個別の感覚はなくなり、ただ愛の状態になって、愛されるとか愛するとかもなく、幸福感もないということでした。
そう考えると、確かにエクスタシーは、覚醒状態なのかもしれません。
あれが本当にいいかと問われれば、どうなのかなぁ・・・
アセンションとか、覚醒とか、いろいろなことばが転がっていて
結構混乱していたりするのですが
目指す状態は、もしかすると覚醒状態じゃないのかもしれないと思い始めているところです。
個人的には、エクスタシーはさんざん経験したから、あらためて再び肉体と精神に・・
という動きなのかもしれない。
悟らないうちが花・・かもしれない、
この地球上では。
にしても、一番印象的だったのは
たつの先生のセミナーで
ミラノ美術館に飾られている、女性器のレプリカがたくさん並んだものを見たことで
やはり肉体的な女性の豊かさというものを
強く感じたんですね。
限りなく多様で、どれひとつ同じものがなく
どれも同等に貴重で大切なものなのです。
その時、そう感じていた(けど意識化できていなかった)から
その後入浴中に、「女性とは豊かさそのものである」という考えが湧いたんだと思います。
言語化というか、意識化するために、そのくらいの時間差があったということですね。
なんというか、そのレプリカを見た時、圧倒されてしまって、なんかいろいろ感じたんだけれども、混乱していたんでしょうね。
そのくらい、女性器のレプリカの集合体は、情報量が多かったということでしょうね。
多くの日本人女性が、ないことにしたがっている、その部分こそ
豊かさの源泉であるということですね。
だって、生命はそこから生み出されるわけですから。
逆にそのくらい豊かであるからこそ、ないことにしたかったというか
封印していたということですよね。
でもそろそろ、封印が解かれようとしています。
パンドラの函という思い込みを捨てて全人類は
限りない豊かさを手にすることができると、私は信じています。