今日はもう1人、母と同世代の方についても語りたいと思います。
ある芸術家で、仮にRさんとしましょう。
ちょうど節分の日に、電話をいただいたのです。
まさに母に電話しようと思っていた日だったのですが、その矢先でした。
年齢は母より一つ上で、今年82になるそうです。
私はここに来るまで、もちろん折に触れて先を示してくださった存在があったため、なんとか絵を続けて来ましたが、
あまり先生らしい先生に導いてもらったことはなかったです。
それが悪かったとも言えるし、個性を曲げられなかったという点においては
良かったとも言えるでしょう。
その自分において、初めて芸術家としての先達、手本と言えるような感じの人に出会ったのです。
それがRさんでした。
Rさんは画家のお母様のもとに生まれ、
人形作家としてTVや各メディアにも取り上げられた方です。
本来は、私などお付き合いできるような立場の方ではないと思います。
で、今日はわざわざ私の展示にいらっしゃれないことのお詫びでご連絡いただいたのです。
そして、少しお子さんのことについてお話しくださいました。
何人かお子さんがいらっしゃるのですが、その内のお一方と少し折り合いが良くない、とのことでした。
それは以前、Rさんご夫婦が展示された会場に伺った際、旦那様から少しだけ伺ったことがありました。
旦那様も、いかにも芸術家然とした方です、
ご夫婦そろって、これだけの作品を作りながら、なぜ不遇と
思わずにいられないような感じの方々です。
Rさんは何度か再婚されているので、お子さんたちの父親が違うとかいったことも少し伺いました。
そのせいか、真ん中の方は、Rさんが自分を捨てたと思っているらしいです。
あまり細かい経緯はわかりませんが、そのお子さんが20歳の時、Rさんがその方を残して、家を出られたようです。
難しい問題なので、どちらがどう悪かったとか、一概に言えません。
また言い分はそれぞれにあると思います。
Rさんは20歳だからもう大丈夫と思った、ということですが、
お子さんにしてみれば、そうではなかったということになります。
また、足が悪かったお子さんのために、ずっとだっこをしていたということや、
成人式の時にも、60万を超える着物をその子のために作った、という話もされていました。
そのほかにも、いろいろその方のためにした、ということを話されていました。
それでも、愛されていないと思っていると。
先日、ふと思ったんです。
中学生のころ、私は母より、伯母のことがずっと好きでした。
たまに来る伯母は、私と一緒にいて、欲しいものを好きなだけ買ってくれました。
いつもイライラしていて、ガミガミ言っている母の前では自分を出せることなどなかったですし、気持ちが安らぐこともありませんでした。
母は私を褒めたことはありませんでしたし、私のすることすべてに文句を言っていました。
伯母の前で笑うことはあっても、私は母の前でほほえむことはありませんでした。
でも近年、というか、去年のことですね。
私が、「私は伯母ちゃんと似ているから」
といったところ、母は激怒しましたね。
「どうして、あなたがお姉さんと似ているの!」
「似ているわけないじゃない!」
「似ていると思ったら、どうして変えないの?」
母が伯母(父の姉)に対して、いい感情を持っていないのはよく知っていました。
そう思っても仕方がないようなことが2人の間にあったことも知っています。
でも、父の姉なんだから、私が父に似ているのも当たり前だし、当然伯母にも似ています。
むしろかなりの割合で、叔父と甥っ子が似ていたり、伯母と姪っ子は似ているものです。
でも母には、それが受け入れられないようでした。
「だって、T君(私の弟)だって、K叔父さんに似ているでしょ?」
というと(K叔父さんは母の実弟です)、
「それはそうだけど、あなたが伯母ちゃんに似る理由がない。」
と言うのです。
昔から、母には論理性とか、客観性といったものはまったくありませんでした。
それが私が母をバカにする、一つの理由になっていたのです。
今は呆れることはあっても、ある意味強さだと思っており、一応バカにすることはありません。
普通に考えれば、やはり私は伯母に似ています。
しかしそう考えたくないくらい、母は伯母が嫌なのです。
ここで、「当時私はお母さんより伯母ちゃんの方が好きだった」などと言おうものなら、どこまで荒れ狂うのかわかりません(笑)
でもそれは、当時の私の素直な感覚でした。
私はそれを、自分としては当然の感覚だったと思っていましたし、今もそう思いますが、
それを母に言ったことはありませんでした。
母はほとんど私の話を聞いたことがそもそもなかったし、その余裕もありませんでした。
母が私の話を聞いてくれるようになったのは、ごく近年、
たぶん2016年くらいからだったんじゃないかと思います。
それまでは、会っても電話をしても、一方的に弾丸のように
母が話をするだけでした。
それも、息つく暇もない感じで話すので、
時々私は大きく深呼吸というか、ため息をついていました。
で、ずっと自分的には当たり前だと思っていた、伯母に対する感覚ですが、
たぶん、これは母にしては相当心外だろうと、つい先日ふと思ったばかりでした。
伯母よりずっと、普段から私の世話をしていたのだから
伯母より自分を好きで当たり前だろうと、母にしてみればおそらく思っていると思います。
これだけ世話をしているのだから、わかってもらえて当たり前だと。
でも、その近さでそれだけ攻撃されたら、それも四六時中そうであれば
痛いわけです。
親しいから、血がつながっているからこれだけしても許されるというのは、親側の感覚でしかありません。
親、特に母親にしてみれば、自分の体から出てきたから、つながりにおいて絶対的な確信があるわけです。
ところが、出てきた側からすると、母親は気がついたら側にいただけですから、繋がりに確信がありません。
そこに決定的なギャップがあるのです。
いくら毎日世話をしてもらっていても、近くにいても、子供にしてみれば自分ではできないから世話してもらって当たり前なわけだし、ある程度の時間を経てそれを客観視できるようにならなければ、それを意識することも、感謝することもできないわけです。
その感覚の差を認識するのは、お互いに難しいことだと思います。
本当は母親だって、娘だった時期があったわけですから、覚えていれば共感できることもあるかもしれません。
覚えていれば、それを当時認識できていれば、の話ですが。
母側が「これだけしているのだからわかってくれて当然」
と考えていることについては、子供にはまずわかってもらえることはないでしょう。
親元を離れたり、成長して少し親との距離が開いて、客観視できるようになったり、また小学生くらいでも、先生に「お母さんやお父さんに感謝しましょう」と言われて気づくことはあると思います。
しかし、成人式の着物だって、ある意味「親が買わないとまずいと思っている」という、極端に言えば親側のエゴです。
家によっては親がまったく買おうとしないとか、娘の方がすごく欲しがっているとか、差はあるでしょう。
でも、ひな祭りとか五月人形、七五三、万博に連れていくとか、そういった大きな節目の行事は親が主体で行われるもので、幼稚園行くか行かないかくらいのこどもが親に
「ぜひ、七五三をやって欲しい」
とか、
「雛人形を買って欲しい」
とかいうことはありえない話だと思います。
子供がだんだん大きくなって他の子と比較を始めたりすると、
「あの子がこうしてもらっているのに、自分がされないのはおかしい」
とか思ったりすることはあると思いますが、
一般的には、親の都合で行われるものなのです。
だからどちらかというと、親の気がすむかどうかで、見栄の問題です。
60万の着物を買って嬉しいのは子供ではなく、親なのです。
ですからうちの娘なども
「もう振袖はいらないから、ネットで売りたい」
などとぬかしました(笑)
確かに親としては高い金を払っていますから、感謝して欲しい気持ちが出るのも致し方ないことです。
しかし、やはり、そこで子供に感謝しろというのは間違っています。
娘の着物は、親が娘に着せたいと思って買った、親の着物なのです。
だから娘が売りたいと言ったら、「それは親のものなんだから、売っちゃダメだ」
と言うのは間違っていないと思います。
そもそも、私の頃は私がこんな着物が欲しいと口を出す権限もなく
どうせ子供は柄などわからないだろうと思われていたとも思うし
さっさと母が決めたものがあてがわれました。
もっと言えば、母にもほとんど決める権限がなく、
母は和裁を習っていたので、先生が決めたのだと思います。
和裁とか和服とか、そういう日本の伝統的な分野はなんとなく
古くから流れが決まっていたりして、なかなか意のままにならないようなしくみがあるように感じます。
そういう社会だから、自分の意見をはっきり持つことは、ある意味自殺行為です。
長い時間の中で、そうした自分を出さないしくみが、日本の社会で育まれてきたのだと思います。
そんなわけで、おそらく先生と着物屋さんとの何かがある中で柄がいくつかやりとりされ、多少はその中で母もこれなら大丈夫です、的な意見が交わされるというか、承諾があったのでしょう。
それをおそらく、母の姉弟子が縫った、という感じだと思います。
だから成人式の日には、和裁の先生と、その姉弟子に着物姿で挨拶に行きました。
当の私はどうだったかといえば、当時私は強烈に父親に反目していて、頭の中はそればっかりで、ほとんど成人式どころではなかったのが実情です。
母に「絶対着てよ!」みたいな感じで念を押されて写真撮影も気が乗らないけれど渋々、みたいな感じでした。
でも一応、まあ成人式には着物があてがわれるんだろうな、とは前々から思っていました。
また着物自体もかなり渋い色柄でしたが、私に似合わないということもなく、そこそこ気に入っていました。
大事にとってはあります。
何度か友人の結婚式に着ていったりもしましたが、着付けの人が
「これはかなり個性的な柄で相当渋いから、あなたが結婚されてからの方がきっと似合うし、袖を切って着たらいい」
と言うほどでした。
それでも柄付けは振袖然として、袖を切り落とせば訪問着として着られる、という感じでもないです。
思えば洋服でも私の趣味に合ったものはほとんど買ってもらえませんでしたから、着物においては当然でした。
親には子供を自分の意のままに扱えるとか、子供は自分の努力をわかってくれていて当然とか、そうした幻想があると思います。
学校も、ほとんど親が決めて、自分には決める権限がありませんでした。
ある程度意向が反映されたのは大学くらいです。
まあ、公立の場合は地域で決まっているから、ほとんどの人は積極的に選んでいるというより、そこしかないからという消極的な理由で選んでいると言えます。
そんなわけで、そう思ってしまってもある部分仕方ないことでもありますが、親はそうした幻想に取りつかれています。
ところがあくまでも思い込み、幻想ですから
その通りにはほとんどの場合、なるわけはありません。
親と子は立ち位置が違いすぎるため、決して同じ感覚を得られないのです。
そして親からは、その立ち位置の違いを見ることができないのです。
子供からは立ち位置が違うということはわかりますが、その違いがどうして起こるのかはわかりません。
というわけで、普通はお互いに理解し合えないのです。
そして、親から愛されていると感じることは難しいのです。
愛されている部分は当然過ぎて見えず、愛されていないと感じる部分ばかりがフォーカスされることになります。
正直、自分もそうでした。
一度「愛されていない」と感じてしまうと、その感覚から抜け出すのは困難です。
だからRさん親子も、何かの契機がない限りは、お互い愛し合っていることに気づけないと思います。
両者が立ち位置を変える必要があるのです。
いつか、2人が和解できるよう祈っています。
というか、決裂はカルマであり、おそらく伏線ですから
回収されるのが当たり前というか、いつか和解はくるのだと思います。
それなりに歩み寄りは必要で、ほとんどの場合はお子さん側からもたらされると思いますが、Rさんは芸術家ですから、もしかしたらRさんからかもしれません。
昔とは違いますから、決裂のままということはないでしょうし、展開も早いと思います。