カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

恐れと論理と数字、確率

さて、先々週の横浜巡りで感じたことを追加。

 

ご案内いただいたAさんは、ヨガの先生です。

 

 

ヨガでは、ポーズが取れることよりも、体に何が起きているかを知ることの方が重要だと聞きました。

 

ですからAさんも、体感や風景を感じる、鍛えられた感覚をお持ちなのだと思うのです。

 

他からの情報を鵜呑みにせず、まず自分の目で見て、自分の感覚で感じてみる。

 

 

日々、そうした訓練を積まれていると思うのです。

 

 

その視点で語られるお話を伺いたい。

 

この、コロナの話で囲まれた状況で。

 

 

それがAさんの街案内に参加させていただいた、本当の理由です。

 

 

目の前に、とても美しく咲き乱れるバラの中、

 

あふれる色と香りの中で、ほとんどすべての人がマスクをして歩いていました。

 

 

その豊かさを感じずして、何を健康と言うのだろう。

 

 

それについては、人によっていろいろな考えがあるでしょう。

 

 

この状況で、見るべきはコロナではなく、それによって起こされる恐れだと思うのです。

 

 

変異株が出ているとは言え、コロナははるかに風邪よりかかりにくい病気です。

 

飛沫感染するとしても、どこか遠くから飛んできたウイルスにかかるという、空気感染ではありません。

 

毎日TVを見ていると、感染者数が膨大で、うなぎ上りのように感じてしまいます。

 

 

実際は風邪の患者数の方がはるかに多いし、重症化して死ぬ確率も

風邪とそう変わるものではないと思います。

 

風邪にかかることを恐れて、マスクを夏でも外さない。

そのようなことは、普通に考えればありえないことです。

 

ところが、マスメディアを見ていると、それが大問題のように感じてしま

います。

 

TVや新聞で取り上げられるのは、センセーショナルな事柄ばかりです。

 

衝撃を与える情報でなければ、人の気を引きつけられないからです。

 

「今日も問題なく、平和でした。」

では、記事になりません。

 

 

そのような情報操作が行われていると、考える必要があります。

 

 

美大では「マスコミニュケーション論」のような授業があります。

 

美大以外でも、あるかもしれません。

 

 

そこで、どのように情報を扱って、どのように人々に影響を与えるかを学びます。

 

すべての情報は、発信元に利益があるようにできています。

 

ニュースを見てもいいけれど、その情報は誰が何の目的で流しているのか

考えることは必要だと思います。

 

マスコミは、すべての利権から自由というわけではありません。

 

 

誰が利益を得るのか。

 

それを考えると、知りたくないことも出てくるかもしれません。

 

 

でも自分が主体で生きたいなら、誰かに操られて生きたくないなら

見るべきことはあると思います。

 

 

 

 

戦後、北朝鮮がパラダイスという情報が流され、多くの韓国籍の人が北朝鮮に渡らされたこと。

 

経済不安を払拭してくれるのは、強いナショナリズムであるということ。

 

今のニュースを見ていると、そんな情報が流されていたことを、つい思い出してしまうのです。

 

 

どういったスタンスを取るにしても、恐れはあります。

 

私にしても、コロナは怖くなくても、人の恐れゆえに取る行動は怖いです。

 

自分の中に恐れがあること、その恐れによって何が選ばれようとしているのか、わかっている必要はあると思います。

 

論理も人の数だけあり、恐れによって曲げられることもあります。

 

恐れがあって数字がからむと、単純に信じてしまいがちですが

その論理が目指すのはなんなのか、見抜く必要があります。

 

ワクチンの有効率が95%と、TVでは言われています。

 

しかし確率が出てくる時、分母と分子がどこから出ているのか、確かめなければなりません。

 

私は工学部の卒研で確率論を扱ったため、ついものごとを確率で考える傾向がありますが、分母と分子の出どころが変わると、確率の内容がまったく違うものになってしまいます。

 

有効率95分の100ですが、その100は、ワクチンを打った人全員、ということではありません。

 

 

 

Aさんとお話しできて、久しぶりに「健康とはなんなのか」確かめることができて、本当によかったです。

 

 

まさに、会いたい時に一番会いたい人に会えた。

 

そんな感じでした。