カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

ワクチンについての決断

TVのニュースでは、ワクチン接種をぜひ受けたいという人が87%と出ていたが

 

Yahooのアンケートでは44,8%で、50%に満たなかったのが意外だった。

 

何人の人が回答していたのか見損ねたのだが、やはりTVの情報はある程度手が入っているな、という印象だった。

 

虚偽とは言わないが、TVの視聴者中心に行った調査だと思う。

 

 

それを言えば、もちろんYahooの方には、TVはほとんど見ない人、ネット中心に見ている人が調査の対象だから、どこがフィールドかで結果が違ってくるということだと思う。

 

しかし、悪くない結果だと思う(やや上から目線・笑)。

 

ただTVの情報に乗せられるがままでなく、自分で考えている人も少なからずいるということだと思う。

 

 

そう悲観することもないかな、とも思う。

 

 

一方で、ワクチン接種を決めている人を説得して変えさせようとするのは、

ほぼ不可能に近いかと思う。

 

マスクをしない人に、説得してマスクをさせようとするのと同様に。

 

 

私が説得されても、変えないと思うからだ。

 

 

いま取っているスタンスは、すでに生き方の時点で決まっている。

 

たまたま表現される機会が今回あったから、出たというに過ぎないのだ。

 

少しばかり説得されたからと言って、簡単に変わるような部分ではない。

 

 

逆に言うと、いま各人が表現しているもの、スタンスは、生き方のあらわれということになる。

 

もうそれぞれの人の生き方が、ダイレクトに表現される時代になったのだ。

 

 

 

だからわかりやすい分、溝も深くなる。

 

分かり合えない人とは、ますますわかり合うのが難しくなる。

 

 

分かり合える人とは、そうたくさんことばを並べなくても分かり合えるということが起こる。

 

 

コロナというより、ワクチンが住み分けを促した感じだ。

 

こうして別れていくのだろうな、と思った。

 

 

それで世界が二分されていくのかな、と思ったが

そんな簡単な図式でもないかと思い始めた。

 

 

ワクチンに懐疑的であっても、医療関係者なら打たないわけにいかないかもしれない。

 

こどもたちを集めて何かを教えるような役割の人も、打つ必要に迫られるかもしれない。

 

外に出かけていく機会の少ない主婦の人でも、家の人のために打とうと思うかもしれない。

 

他の人がどうであろうと、自分は打たないと決める人には、

そう決めるだけの経緯があるのだ。

 

その決断は、一日や二日でできあがったものではない。

 

それまでの生き方が、その決断に集約している。

 

 

どのような決断も、いい悪いではなく、生き方そのものだ。

 

 

また同じワクチンを打っても、出方は人それぞれだと思う。

 

A+B=C に必ずしもすべての人がなるわけではない。

 

 

人体の複雑な要素が、生き残りに向けて働くのだから

結果がどのように出るのかわからない。

 

 

少なくとも答えは一つではない。

 

 

だから、その決断を祝福しよう。

 

どの決断であっても尊い

 

 

もしかしたら、初めて、本当に自分で決めて、未来を選び取るのかもしれないのだから。

 

どのような結果であっても成功なのだと言える。

 

 

選び取った未来も、祝福しよう。