「端居して自在にものを思ひゐる」 黄葉
過日、読売新聞の四季(俳句)欄に取り上げられた句である。
いままで折に触れ、怪しい建物を取り上げてきたが
それらは水道(みずみち・・川や沼、池、湿地帯など、水の通る場所)にあるものが
多かったりした。
俗に、あまり住むに適さない場所とも言われていたりする。
水は生活必需品で、川の近くというのは利水上
いい部分もあったが、
水は体を冷やすため、病気をもたらすこともある。
津波や洪水が来る場所も、もともと水が入るような場所、
つまり水道だったのである。
本来は風道(竜巻などの通る場所)と同様、住むには適さないのだろうが
便利な場所なので、人が居つくのだと思う。
また、水道と関係があったりするが
いろいろな理由により怪しくなっている場所がある。
古戦場や墓地(古墳群)、などなど・・
そうした場所が忌み嫌われるかと思えば
必ずしもそうではない。
それはどうしたわけなのだろうと
長いこと考えておった(笑)。
特に、ものを作ったり書いたりする人には
かなり好まれたりしているのだ。
鎌倉や渋谷・青山、横浜の関内など・・
直接墓の上、ではないかもしれないが、
一帯は同じような雰囲気に包まれている。
鎌倉は観光地になっているが
実は材木座・由比ガ浜の辺りは古くから埋葬地とされてきたため
いまだ多くの人骨が地中に散乱しているし
江ノ島近くにある龍口寺は刑場だった(日蓮上人が処刑されようとして、いきなり天候が変わり、役人に恐れられて放免になったという逸話のある土地)。
横浜の市街地は、関東大震災や空襲だけでなく
古くは江戸時代から大火のためたびたび死屍累々となっていたらしい。
青山の場合、青山墓地のせい、とは言い過ぎかもしれないが
土地の性質というのはそう急に変わるものではないので
以前から一帯に似た施設(?)があった可能性はある。
また、私なども、こういった場所が子ども時代から
とても好きだった。
行くと、当時は気持ちが落ち着くように感じていたのだが、
今は独特の雰囲気を感じ、頭が痛くなったり
帰ってからもしばらくは調子が悪かったりする。
それでもなぜか折に触れ、出かけずに居られなかったりする。
思うに、片足をカンオケに突っ込んだような人間でなければモノなど作れない。
そういう位置でなければ、見えないものがあるのだ。
あの小津安二郎も、北鎌倉に住んでいた。
撮影所が大船にあったから、ということもあるだろうが
やはり気に入って住んでいたと考えられる。
あの独特のアングルといい、実生活から一歩引いた視点。
そういうところから見て作った作品ということだ。
先の句に戻るが、解説によれば
「縁側は家の内でも外でもない場所。・・端居とは夏、縁側に出て涼むこと。
自然、こころも自在になる。この世の端にいる気分といえばいいだろうか。」
彼らの好むところは、そういう場所ということだろう。
ちなみに、この黄葉という人は台湾の人。
(次へ続く)
(なお写真は上から、横浜中華街・オリエンタルホテル
横浜黄金町のストリップ劇場「黄金劇場」廃屋?
東京・新宿ゴールデン街入口
ゴールデン街より二本北にある花園三番街
上に同じ・以上)