今年ももうあと10日ほどになってしまった。
今年はどういう年だったかといえば、
1、 すべて愛だと実感する年
2、 いろいろなものを受け取る年
だったような気がする。
今年は多くの方々に、いろいろなご好意をいただいた年だった。
「いただく」ことを自分に許可した最初の年でもある。
今までは、「人からは何かしてもらいません」と決めていたが
今年はなんとか、「受けられるご好意はありがたくいただく」に
だいぶ変わって来たんじゃないかと思う。
まあ、とっさのことになると、つい「もらわない」を選択してしまいますけどね。
意地っ張りですから。
本当は今までも、いろいろ頂いてきたとは思うんですよ。
いただかないことには生きていけないですからね。
でも、頂いても、それに気づいていなかったり、受け入れられなかったりしていました。
食事だって毎回地球さんからいただいているのにね。
味わって食べていなかったり、ありがたみを感じていなかったりしていました。
中学生くらいから星占いが大好きで
自分のホロスコープを作って、雑誌の有料占いなどにも申し込んだりしていましたが
その時に、自分のカルマについて占ってもらったんですよね。
具体的にどういった方法の占いかはわかりませんでしたが
送付されて来たものを見ると、
「前世の無念により、いくらお金があっても、それを使うことのできない罰が与えられている」
という、意味のわからないことが書かれていました。
実際お金などは、あまり潤沢に私の元にやってくることはなかったからです。
根拠があるかはわからないままですが
実際のところ、私は次から次へとやりたいことが出てきて、一つクリアすると前に進まずにいられず、先に達成したことをろくに味わうこともしないで来ました。
欠けたところにしか目が向かず、
すでに受けた恩恵や豊かさに目を向けることができないのです。
人間というのは概ねそうしたものかもしれませんが
そういったわけで、私は自分が素晴らしいとも思えないし
欠点にしか目を向けられないでいます。
その欠けたところを埋めるために、さらに走らなければならないのです。
一つには、私は小学校・中学・高校・大学・就職とすべての機会に受験を経験しています。
家の都合により国立を選ばざるを得なかったからですが、私の行っていた学校は附属であっても、受験で相応の結果を出さなければ上の学校に行けませんでした。
よってかなりの時間を受験勉強に使うわけですが、そのため常に自分のできないところに目を向けざるを得ないのです。
そういった理由が、元々の私の傾向に拍車をかけたと考えられます。
さて、話は変わりますが、先月末に同じ大学の同じ研究室にいた友人(仮にIさんとします)と会いました。
その人はオーケストラに入っていて、今春の演奏会に呼んでもらい
その時に会っているので、それほど久しぶりではありませんが、サシで飲むのは初めてでした。
で、一軒目に川崎の某ギョーザ屋に行くのですが、そこで初めて
「実はあの大学を選んだのは、オケがあったからだ」
という話を聞きました。
都内でオケがある大学は、当時限られていたという話でしたが
それにしてもあの大学をオケのために選んだと聞いて、なかなか余裕をかましているな(笑)と思いました。
大学を選ぶ理由は人それぞれでしょうが、概ねあそこに来た人の理由は
「都内にあって国立でそこそこのレベルだから」
というものがほとんどだと思っていました。
二人とも大変優秀な人でした。
高専の人はすごいと噂には聞いていましたが
確かに噂に違わずでした。
で、「オケがあったから」というちょっとフザけたような理由にはびっくりしたのですが、私もこの大学を選んだのは、「朝に下り電車で通いたい」という理由が大きかったので、あまり人のことは言えません。
実際彼はほとんど演奏バカのような人で、現在4つのオケに所属していると聞きました。
ほとんど演奏活動をするために上京してきたような感じらしいです。
人からはフザけたように見えても、本人には譲れない理由というのもあるでしょうからね。
私にとって下り列車が譲れない理由であったのと同様に。
12年間ピークラッシュで登校を続ければ、イヤにもなるってもんです。
東急線のチカンは本当にすごかったですからね。
あのチカン行為が自分に与えた心のシミはいかばかりかと思います。
まあ、で、彼と話していて感じたのは、彼が自分の経歴にも自信を持っているってことです。
いくらあの大学(仮にD大学とします)が都内ではそれほど上の偏差値ではないにしても、卒業生には優秀な技術者が大勢いるし、企業でもそれなりに重要なポストについて活躍している人が多いと思います。
確かに彼はあの大学でも、私などが足元にも及ばないほどに優秀だったし、少なくとも現在も某有名企業で活躍する有能なエンジニアです。
さらには、彼の足元にも及ばなかった自分についても、彼はリスペクトしてくれているのが驚きでした。
でも私は、自分の大学にもどこかコンプレックスを感じていて、それがことばについ出そうになってしまうのを、すんでのところで止めていました。
いや、どこか出てしまったかもしれないですけど。
そのとき、自分を卑下することは、相手まで卑下することになると思い至りました。
(「今年と来年の流れ・受け取ったものを喜ぶ・その2」に続きます)