カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

どの人も、実はちゃんとしている~ADHDに向いた?技法(その3)

(「どの人も、実はちゃんとしている~ADHDに向いた?技法(その2)」より続きです。)


娘と自分のADHDを受け入れたことで、なにか急に滞りなく流れがつながったような気がした。

 

そして、すべてが順調に流れ始めたのだ。

 

パズルの、ピースがしかるべき場所にはまったように。

 

いままでの人生、何が一番大変だったかというと、それは自分を常に責めていなければならなかったことだ。

 

でもADHDであることを認めれば、責めなくてよくなる。

 

仕方ないからだ。

 

それは勝手な反応であり、心が弱いから、その行為をしているわけではない。

 

厳密にはストレスのやり過ごしであるから、そう言えないこともないかもしれないが、そのことである程度、問題には立ち向かえているわけである。

 
 

また、外から見るとそうした反応は

「ガマンの効かない人」

に見えることだろうと思う。

 

普通の人ならガマンできることが、ADHDの人にはガマンできないように見える。

 

それがつらいところだ。

 

私の親の、虐待とも言える躾は、おそらく私の抑制が効かず、ガマンができないと映ったから行われたのだと、今は思う。

 

その時の暴力による痛みが防波堤となって、ADHDを押し込め、隠していた(というか、別の形に変化させていた)。

痛みや苦痛がフラッシュバックすれば、そうした反応を自動的に自分で抑圧し、結果として別の形に変化させてしまう。

 

私自身も、自分がそのように抑圧されていて、自分がADHDであったことは忘れているから、子供の反応は「ガマンが足りない」ように見えていた。

 

しかし私は親から受けた躾で完全にねじ曲がっておかしくなってしまったと

自覚はしていたので、

同じような躾を子供にする気にはならなかった。

 

それでもガマンが効かないように見えるところに苛立ち、勉強を教える際に感情をぶつけてしまったことがあった。

 

でも、ガマンの問題では、もはやない。

 
 

勉強が長時間できないので、毎日の勉強は各教科2問だけに限ってやっていた。

そして、1日2教科だけ。

 

これなら座っていられない娘にも、なんとかできた。

 

しかしこういう勉強法だと、限られた時間にたくさんの問題を解くような場合には不利になる。

 

また、興味がないものには根気が続かない。

 

興味さえ続けば学習を続けることができるから、私立には可能性があるが、国立は教科が多いから難しくなる。

 

そういった制限はある。

 

でも、だれにでも制限はあるものだ。

 
 

私自身はなんとか、浪人の1年間だけ、毎日時間を細かく区切って1日14時間勉強をして、難関大は受けられなかったが、なんとか中堅の国立には行けた。

 

そして絵も、長時間持続できないから、20分だけ、混色も不要なパステルを使って仕上げる。

 

ADHDであるがゆえに選ばれた描画方法だ。

 

どうしてこういう描き方に至ったのか、当時はわからなかったが、今はADHDであったが故と理解出来る。

 

これ以外の技法は向いていなかった。

 

油絵は、その中で最も向いていない技法だったかもしれない。

 

自分の性質を知らずにいて、苦しい日々だった。

 
 

制限を生かすことで、自由になれることもある。