誰の子どもであっても
昨日の記事
「残酷で不都合な事実」
を書いてみて思いましたが、
結婚は後悔していても、子どもを人権的には認める、一個人として愛するというのは矛盾なく両立できると思いました。
たとえ他人様の子どもであっても
独立した人格を持つ個人で
尊厳を持って扱われることに変わりはないからです。
身内よりも他人の方がうまくいくケースは
いくらでもあるのですから
もはや、誰が誰の子どもであるかなど
どうでもいいことなのかもしれません。
残酷で不都合な事実
久しぶりに、今の話をします。
今日は娘の退院日でした。
お尻に膿がたまったのです。
ありていに言えば、痔です。
一昨年も少し違う痔でしたが、やはり入院して手術しました。
まだ結婚もしていないのに可哀想ですけれど
それでも手術を決意したということは、相当状態が悪くて、もはや我慢できなかったということだと思います。
私も高校生の時にはすでに痔持ちでしたが
結婚・出産をしてすでに入院の経験があったから、なんとか踏み切れました。
まあ、出血が酷過ぎて、もはやそれ以外に道が見つけられなかったからではありますが。
にしてもこれは、遺伝、というのではないかもしれませんが
引き継がれた病ではあると思います。
すでに私は離婚していますが、今日は退院日だったので病院に向かい
元夫の車で彼らの家まで付き添いました。
そして、本当に久しぶりに昼食を共にしたのですが
以前ほどではないにしろ、私は薄く毒を吐きました。
娘にはそれがわかっていたと思います。
何も言いませんでしたが、それは彼女にはいくらかダメージになったと思います。
去年まで、完全に彼らの家を出るのも娘にはよくないかと思っていて
夕食を共にすることもかなりあったのですが
元夫の行動をなじることが時々あって
娘からは「いなくていい」と言われました。
私からすれば、元夫の行動はあまりにも自分勝手で、思いやりの無いことが常だったのですが
娘には私の言うことの方がダメージが大きかったようです。
どちらが良いとか悪いとかではなく
自分の両親が対立していたら、自分の存在が否定された気になるのは当然のことです。
私の育った家庭もそうでした。
その部分も、私が引き継いでいて
同様に病気も娘に引き継がせてしまったのです。
問題ある家庭において
両親がどんな意識でいるか
子供にわからないはずがありません。
特に、絵を描くような子には。
子供が無頓着なのは、家庭が平和だからです。
今日も久しぶりに毒を、それも薄く吐いたのですが
たぶん何か感じることはあるでしょう。
自分の母親が自分にしたようなことと、同じことを自分はしています。
違うのは、意識をしているということです。
それで、「まずいな」と思いました。
罪悪感というものをほとんど手放して来たので、あまり強くは感じないのですが
やっていることは認識しています。
ここで自分を責めても、責めるのは理性であり、毒を吐くのは感情の問題なので
いくら自分を説得しても、次元の違うこと故、その方法でやめさせることはできないのです。
変えるには、自分がそうしていることを理解することです。
そして今日、はっきりと感じましたが
私はあのような人間と結婚して子供をもうけてしまったことを、深く悔いているのです。
子供など産まなければよかった、と思っているわけではなく、いない方がいい、とも思ってはいなくて、子供がいてくれてよかったとは思うのですが、元夫との結びつきを後悔しているということは、結局「いない方がいい」と思っているのと同じだと思うのです。
本当にいい子で、生まれて来てくれて嬉しいし、必ず幸せになって欲しいのですが、ここには大きい矛盾があるということです。
元夫を拒否するということは、やはり子供も否定しているのです。
真に望まれて生まれて来なかった、ということが、無意識下で娘はわかっているのだと思います。
魂レベルでわかっているということです。
それが第一チャクラ付近の病になるということなのだと思います。
第一チャクラは厳密には会陰のあたりで、肛門ではないと思いますが
ほぼ乳児の肛門期に当たる頃、存在の可否、と言う部分に異常を抱えている
ということなのだと思います。
私も母から「お父さんには堕ろせと言われた」と聞いているので
父の思惑だけでなく、そのことを告げる母の思惑にも
そうしたものを常に感じていました。
無意識下では娘は生きていたいと思っていないんじゃないかと
私はずっと思っていました。
自傷行為やゴシックという服装にも
それは表れていると思いました。
自分が常に自分を責めていることも
関係しているとは思っていました。
自分を責めることを2011年末頃に止めるようにし始めたところ
自傷行為は無くなりました。
ただ自責をせず
元夫との結びつきを後悔しているという事実だけ認めることが
まずは必要と感じています。
娘には残酷なことですが
それは紛れもない事実なのですから。
娘は私にはもったいないくらいの良い子です。
彼女を通して、自分のダークサイドが明らかになります。
敢えて娘に言ったりすることはないですが、なかったことはしません。
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諸行無常
久しぶりの更新です。
でもいつもの猫のことではなく、かと言って近所のことなので全く無関係ではないですが、書いてみたいと思います。
その日は、突然やって来たのです。
でもその前の週、猫の餌やりを終えて戻る途中に見ると、その家のガレージの引戸が開け放しになっていました。
いつも夜は戸を閉めているのに。
その家は、私の元いた家の隣りです。
元夫がいない時は、娘と食事をするために戻って来ることがあり、今回は娘と元夫が旅行で少し家を空けるため、洗濯物の取り込みを頼まれていたのです。
猫の餌やり場所も私の家よりは近いし
残して来たものの片付けもあったので、1日だけ泊まることにしました。
翌朝、洗濯物を干しながら階下を見ると、喪服を着た人が2名、そしてその家の旦那さんが黒い長Tシャツで、下はジャージのような格好でしたが、その家のものでないワゴン車からストレッチャーが運び出されました。
ああ、とうとうこの日が、来てしまったのか。
それは、おそらくその場にいない、奥様のものでしょう。
紫の布に包まれていましたが、そして元々そう大きくない方でしたが、子どもかと思うくらい小さいお姿でした。
そう言えば今年、春ぐらいからか、お見かけすることが少なくなったような気がしますが、従来は旦那様が家庭菜園を借りていらっしゃるのか、様々な農作物を車で運ばれる合間に甲斐甲斐しく手伝われていて、そこそこ筋肉質で力仕事も難なくされている様子でした。
だから、それなりに闘病されていたのかもしれません。
何年か前、コロナの時期でしょうか、一時期旦那様が激ヤセされて、ガンの手術か何かを受けられた様子でした。
相当骨格のしっかりした方が、見る影もなくなっていたので、どうだろうと思いましたが、無事快復されて、往時ほどではありませんが、8割方は戻られました。
でもその日は、病気の頃に戻ったかのように憔悴されていました。
旦那様が弱っていた期間も、奥様はお元気そうでした。
その奥様がまさか先に逝くとは思われていなかったのではないでしょうか。
こんなふうに書いていますが、その方たちと私は知り合いでないどころか、挨拶もしたことがありません。
彼らは私の存在すら知らないと思います。
隣りと言っても、こちらはマンションの上階で、あちらは一軒家です。
ただ、階上からその存在が伺えていただけでした。
いわゆる、覗きをしていたわけです笑
見ようとしなくても見えてしまった、とも言えますが、敢えて見ていたとも言えます笑
年齢は、ご夫婦とも80行くか行かないか、というところではないでしょうか。
こちらに越したのは18年前だったので、あちらは当時60代半ばぐらいだったでしょうか。
ずっと家にいられたので、定年後だったと思います。
私の知り合いが近い年齢で、その人と隣りのご主人を重ね合わせて見ていました。
奥様は、いつもご主人に付き従っている感じで、その人の家庭もそんな感じなのかな、と思っていました。
会話もなく、まして一緒にどこかに出かけることもなかった私には、考えられないような夫婦の在り方でした。
自分が離婚してからも、「ああこういうご夫婦だったら、死ぬまで添い遂げられるんだろうな」と思って眺めていました。
どの夫婦にも、パワーバランスみたいなものがあって、主導権を握っている側がある。
世代的なものもあるでしょうが、知り合いもお隣も、旦那様が主という感じでした。
どちらのご家庭も、どちらかが大病をしてそれを克服していました。
残念な光景は見たくなかったので、どちらについても乗り越えられるように、密かに祈りました。
知り合いの方は約15年前に奥様がガンを克服されて、今もお元気ですが、今年ケガをされたとかで、でも快復に向かっています。
お隣は、最後にお見かけしたのがいつだったか、思い出せません。
でもお正月から春先にはまだお元気だった気がします。
少し気になったのは、昨年の秋に柿の木を切ってしまわれたことで、毎年のようにシーズンになるといくつものバケツに柿が入れられていたのに、これからはそれがもう見られないのだな、と思いました。
何か、繋がりがあるのかもしれません。
さて話は現在に戻りますが、奥様が無言の帰宅をされて程なくして葬祭関係の業者の車が来て、お子さんらしい方々の車も到着しました。
たぶんお子さんはお二人で、二人とも男性ですが、お一人はお母様のご帰宅の際にはすでにお家にいらしたようでした。
息子さんたちのご帰宅は、盆暮れ正月という感じでしたから、この集まりはご不幸が現実であることをあらためて私に感じさせました。
葬祭業者は午前いっぱい滞在して、息子さんたちの車も停まったままでした。
私は娘の留守中に来ても大抵は昼過ぎに出ますが、この日はたまたまミシンを扱うことを決めていたので、夕過ぎまでいました。
また、ベランダの片付けも予定通り終えられました。
娘宅の留守番をするのは年に2日あるかないかです。
このレアタイムに、ちょうどベランダ掃除で奥様のお姿を見かけるという偶然に、驚きを通り越して衝撃を覚えていました。
呼ばれたのかもしれません。
亡くなる方というのは、その少し前から魂の存在になっているので、結構周囲の人を操ったりしますよね。
同じ場所に知り合いを集めてみたり。
このケースだけでなく、救急でストレッチャーで運ばれている知人を見かけるということは以前にもありました。
団地の同じ階段の方二人もそのタイミングで見かけ、それが生前見た最後になりました。
お顔を伺って、これが最後だとすぐわかりました。
また向かいの棟の、真向かいに位置する住民の方は、すでに全身を白い布で覆われていて、警察の人が付き添っていました。
偶然かもしれませんが、やはり計り知れない何かが働いている感じがします。
さらに昨日、私は自宅からバス停に向かったところ、その家の方向から出て来た一台の霊柩車が、環状道路を横切るのを見ました。
奥様のだとしたら出来過ぎですし、今は火葬場も2週間待ちと聞いているので、あまり時間が経っていないから違うかもしれません。
父の時は弟がちょうど海外にいたので間に合わないと思っていたのですが、急に火葬場のメンテナンスが入り、弟はお葬式に間に合ったのです。
父の、「一目見て欲しい」というような、執念らしきものを感じた出来事でした。
お隣のことですが、奥様が戻られた日
しばらく息子さんたちもいらしたようですが
夕方になると車がご主人のだけになっていました。
一瞬、お食事にでも出かけられたのかなと思いましたが、お母様を残して出かけられるはずもなし、寝ずの番はお父様だけ?
普通は交代で見ていなければならないから、
家族は集まって帰らないはずですよね。
事情がわからないから、なんとも言えませんが。
こうして一人減り、二人減って空き家が
並んで行くのでしょう。
GWに去勢ボランティアの方から、先ほどのお宅の向かいの人が孤独死されていたと聞いたばかりです。
空き家を見ていると、諸行無常を感じます。
それでも家が欲しいのでしょうね。
野良猫も空き家も、一人の問題じゃありません。
そしてみんな繋がっています。
不審な生き物
さて、Bさんにはその後も出くわさないのですが、暖かくなって来たころNさんから
「近頃この辺りでタヌキが出るようになったから、気をつけて」
と、言われました。
Nさんが自宅のガレージに置いている猫用の餌も、しばしば食べられてしまうとのことでした。
その2日後くらいでしょうか、Bさん宅の向かいのガレージから生き物が出て来ました。
最初は見知らぬ猫かと思いましたが、柴犬くらいの大きさがある、でもイヌではない生き物でした。
目の周りも黒いし、Nさんからも聞いていたし、咄嗟に「タヌキだ!」と思いました。
何を思ったのかOちゃんはその生き物に向かって行き、その動物は走り去りました。
食べ物を出しても、私が距離を取らないと食べないという警戒心の強いOちゃんにしては、意外な勇気でした。
そして自分より体の小さい猫に追われて逃げるのも意外でしたが、猫よりさらに人慣れしていないので、人間にも驚いたのかもしれません。
その後2回ほど、タヌキらしい生き物を見かけました。
Oちゃんのために出しておいた食べ物も、目を離した隙に一度食べられてしまい、短時間でも出しっ放しにしておいてはいけないと思いました。
後日、Nさん宅に仕掛けてあった保護柵にその生き物が入っていたと聞きました。
Nさんが役所の人を呼ぶと、タヌキではなくアライグマで、ひと山超えた小川の付近に棲み家があるということでした。
アライグマは獣という括りになり、取り扱いの免許を持っている人でないと取り扱いができないため、逃がすより仕方がないということで、逃がしたそうです。
だいたいアライグマが出現するのは夜10時半くらいでしたが、以後それらしい姿は見かけていません。
棲み家と聞いた辺りを一度回ってみましたが、何もそれらしいものは発見できませんでした。
不審人物その5
さて、空き家Bの持ち主の方を、仮にBさんとします。
私が餌やりをしている猫(仮にOちゃんとします)は、元々Bさんのお母様が飼われていた猫です。
Bさんのお母様が認知症のようになられて施設に送られ、5匹の飼い猫が残されました。
Nさんが間に入り、引き取り手を探し、若い猫はもらい手がついたものの、一番高齢だったOちゃんともう1匹が残りました。
もう一匹の猫については、所在が不明です。
さて、Bさんはやや遠方にお住まいで、月イチくらいの頻度で家の維持のために帰郷されているようです。
見知らぬ私のような者が猫のために玄関先で餌やりするのも不快でしょうから、一応謝りましたが、差し控えて欲しいとのことでした。
自分の家でやれ、とも言われました。
Nさんによると、Bさんは当初猫を遠方である自分の家に連れて行くと言っていたらしいですが、「土地勘のない場所に連れて行っても」と
と、Nさんが反対したらしいです。
Nさんに、Oちゃんについて具体的にどのような目算があったのかはわかりませんが
結局Oちゃんは野良ネコとして残りました。
しかしBさんも、元は自分の家で飼われていた猫なのに、そんなことを言える筋合いなのでしょうか。
私以外にも、何人もの人が餌やりをしていた様子でした。
しばしばBさん宅で、Nさん以外にも何度か同じ方を見かけていたので、親族の方かと思っていましたが、近所の方のようでした。
というわけでその日は引き上げましたが、さらさら諦めるつもりはありませんでした。
どうせひと月にせいぜい1度だし、車種はわかったから見かけたら逃げればいいし、猫の方が大事だからです。
そして今のところ、再度出くわしてはいません。
庭木が切られてはいるようなので、たまに来ているのでしょうが、Nさんも
「夏前あたりから滅多に来なくなった」
と、言っていました。
不審人物その4
もう前回の更新から2か月も経ってしまいました。
今年も、あと3か月もありません。
さて、猫の餌やりですが
Nさんからは認めていただいた感じとなり、
少しばかり安心して餌やりに励んでいたところ
Nさん宅お向かいのZさんが出てきて
Nさんによると猫好きだったはずの奥様が
「ここで餌やりをしないでください」
と、言われました。
奥様は旦那様も呼んできて
旦那様は、チューリップの植え込みを掘り返したりするからやめてほしい、と言われましたが、それでも物腰やわらかに、
「すまないけど、ありがとう」
とおっしゃいました。
Zさんは、ご近所のNさんが猫好きで
甲斐甲斐しく面倒を見ているのを知っていたから、Nさんには好意的に接していたのでしょう。
一方私は、どこの誰ともつかないエイリアンです。
理解はできますが、私もZさんのお宅至近では餌付けしてませんし、猫がZさんの庭に行くのは以前からで、私のせいではなく、私が止めることもできません。
Zさんのお宅は、猫の好みに合う何かがあるのだと思います。
車や人が迫って来た時に飛び込む、こんもりした生垣や、トイレにしやすいようなよく手入れされたお庭があるのでしょう。
言われたからといって、餌付けをやめるつもりはさらさらありませんでしたが、お互い不快になるのも本意でないので、場所を少しずらして続けることにしました。
また、Zさんに遭遇したのも餌付けを始めて4か月目だったので、そうそう会うこともないでしょう。
その後ひと月はなんとか遭遇せずにいましたが、今度はZさんの向かいのお宅の方、先に空き家Bとしていた場所ですが、その持ち主に遭遇してしまいました。(続く)