カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

デリケートな問題(笑)

4〜5年前にオーラソーマヨガでお世話になっていた先生(仮にA先生とします)と、先月お茶した。

 

当時もお話しの内容とか、かなりするどいと思っていたのだが

今回お教室を離れてプライベートでお会いしてみて、ますますいろいろツボった。

 

 

当時はもちろんお教室だけでしかお話しする機会はなかったが、

その後フェイスブックでつながらせていただいて、去年市内のアートフェスティバルの方にお忙しい中わざわざお越しいただき、お礼の意味も込めてお声かけしたのだった。

 

 

しかし結論から言うとご馳走までしていただき、お礼どころかまたお世話になってしまった。

 

場所は尾山台で、この駅に降り立ったのは約15年ぶりだった。

 

この駅は私の小学校・中学時代の通学路になっていた。

 

 

お連れいただいたのは、ハーブのお店だった。

 

 

そこがカフェになっていて、スパイシーなカレーをいただきながら

ガールズ?トークを楽しんだ。

 

 

エベレストや東大寺お水取りの話に始まり、さすがヨガの先生らしいな〜と感じ入っていたのだが

 

 

A先生のご友人の話になった。

 

 

ご友人の旦那様の方がアーティストで、奥様は建築家ということで

素敵なご夫婦という。

 

旦那様は40歳そこそこ、奥様は50歳近辺。

 

ところが困ったことに、旦那様が絶倫で、奥様が2回気絶しても、まだ旦那様は物足りず臨戦態勢(笑)だそうだ。

 

1日に6回くらいは平気でできるという。

 

奥様も相手し切れず、旦那様は物足りないので、どこか他所で解消したものか、考えあぐねているという。

 

奥様も了承済みらしい。

 

それがもう困り果てた状態なので、A先生に相談に来られたというのだ。

 

 

で、A先生は私や、カフェのマダムと会うので

いい知恵を仕入れてくると約束されたらしい。

 

そういう人もいれば、逆な人もいるのだからいろいろだ。

ぜいたくな悩み、かもしれないが、そうだったらそうで大変でもありそうだ。

 

 

これは、旦那様がアーティストというのがまずポイントだと思った。

 

 

アーティストという人種は、描いている、つまり何か作っている最中に

「もよおす」生き物である。

 

 

つまり、何かを作りはじめると、エネルギーが放出される一方で

エネルギーが第一チャクラから、つまり生殖器の辺りから入ってくるのだ。

 

 

そうすると、生殖器が刺激されるので、もよおしてくる(笑)。

 

常に創作していると、何かしらその辺がいじられていると同じような状態なので、やりたくなるのが道理である。

 

ピカソロダン岡倉天心など、スケールの大きい芸術家ほどその出入りが激しいので、多淫になるし、相手が多かったり、相手が頭を病んでいたりする。

 

勤め先の和尚もそうだった。

 

私も危うい橋を渡っていたと言える。笑

 

 

頭を病む、という件についても何度か書いたが、セックスで第一チャクラから入ってきた相手の大きいエネルギーが、クンダリーニエネルギーとして脊髄あたりを登って頭まで来るからで、

 

そのエネルギーが愛によって害のないものに変換されていれば(たとえば宇宙空間から入ってくるエネルギーのうち、太陽エネルギーなどは、愛の波動で人間に合うように変えられているから、悪い影響が出ないということである)よいのだが、愛がなかったりすると、ただ雑味の多い大容量のエネルギーがそのまま入ってくることになるから、精神に異常を来したりするのだ。

 

それはプレアデス人も言っていた(「プレアデス+かく語りき 地球30万年の夜明け」バーバラ・マーシニアック著 太陽出版より)。

 

だから性的交わりは、自分を愛している人とするべきなのだと。

 

 

A先生も、エネルギーが頭に抜けてもいいことはないとおっしゃっていた。

 

 

というわけで、A先生と対処法をいくつか考えてみた。

 

  • 奥様からお許しも出ているのだから、だれか適当な相手を探してそこで処理する。(相手はできればプロ、または素人)
  • ある程度は出す必要もあるが、毎回だれか相手に必ず出さなければならないというのは思い込みである場合もあるから、自分でする、あるいは別の方法で(誰かと?)エネルギー交換する。

  

 

で、1について。

 

いくら奥様がいいと言っても、その相手の方に心が傾かないという保証はない。

 

また旦那様の心が動かなかったとしても、相手の人の心が傾いて来たら、それはそれで困りそうでもある。

 

 

A先生のおっしゃる通り、どんな相手でもよいということはない。

 

そして、実際に試してみなければわからない。

 

こうした相性というのは、当人同士でなければ、知り得ないことがある。

 

デリケートな部分だけに、デリケートな問題なのだ。

 

 

A先生にも「どう?」とお声がかかったそうだが、

A先生は私と学年違いの同じ年なので、「もう無理」

と断られたそうだ。

 

確かに、この年では応じ切れないと思う。

柔軟性、頑丈さ、どこを取っても、物理的に無理というものがある。

 

 

A先生はヨガの先生だから、体を鍛錬されているし、

私から見ても十分美しく活力に溢れているのだが

 

そういった方でも遠慮されるのだから、まして素人には・・である。

 

 

そして、「その気にならない。」

 

それは曖昧にして、強力な理由である。

 

それだけに、代え難い理由と言えそうだ。

 

 

たとえば私に振られたとしても、一通りやり尽くして、

 

「なんか、もう、いいかな」

感がある。

 

話だけ聞くと

「ちょっとうらやましいかな・・」

と思わなくはないが、

 

そう思うのと実際に出向くのでは、大きな隔たりがある。(笑)

 

だいたい1日に6回など、全盛期(笑)の時でも無理だった。

 

 

さらになんとなく、アーティストはイヤだ(笑)

 

同類に、食指が動くことはまずない。

 

 

和尚のところでは「真言立川流」の話がよく出ていて、

「セックスをするときには、感情は入れるべきではない」

と言われていた。

 

セックスはエネルギーの交換だから、その方が効率がいいのだという。

 

それに、体の交渉があったとしても男性は感情も動かないようにできるようだし、概して自分から家庭を壊そうとは思わないようだから、大丈夫じゃないか、とも思う。

 

 

しかし、女性にとっては問題だ。

 

どちらかというとセックスで気持ちが動きやすいし、誰かを本気で好きになったら、家庭を壊す方向に動きやすいのではないか。

 

 

 「それはそうでしょう! 体と心は別ではないから、やはり気持ちは着いてきますよ。」

と、A先生もおっしゃった。

 

 また、「子宮が感情とつながっている」とも。

 

 

 確かに、子宮筋腫などは経血の逆流によると、医学的にはされているらしいが、ガンなどができる際も、感情の影響が見られる場所ではあると思う。

 

 

だいたい女性の場合、気持ちが動いた方が楽しいに決まっている。

 

 

というか、そもそも好きでもない相手と事に及ぶのは無理があるし、

楽しいかどうかを決めるのは、感情ではないだろうか。

 

 

肉体的感覚に依存する部分は大きいとしても、

感覚だけで片付けようとすると本当の満足に至らないので、

おそらく無限ループに入る。

 

 

たとえば食欲に関しても、物理的にお腹が空けば食べるし、胃がいっぱいになれば満たされるわけだが、それの繰り返しと同じ状態になるわけである。

 

 

そして、自分の好きでないもので満たされても、どこか不足感は残る。

 

肉体的感覚でない部分が、満足を決めているとも言えるわけである。

 

 

そしてある程度歳を取ったり、飽食が続けば、かつてのように美食をむさぼることも減ってくる。

 

物理的理由だけでかたづけられないものが、「満足」という状態を作っている。

 

 

性欲について言えば、男性の場合は「出さなければならない」という物理的な理由が大きいわけで

 

それだけが解消されればいい、と言えなくもない。

 

生物学の竹内久美子先生も、「陰嚢が大きい男性ほど、浮気に走る傾向が高い」と言われているし、実際そうである気が私もするけれど

 

セックス中毒、のような状態は、陰嚢の大きさよりも精神的な部分が関係している気がする。

 

 

アル中も精神病といわれているから、依存性になってしまうとそういうくくりになるのだと思う。

 

 

 

そして女性の場合、性交渉は「出さなければならない」とか「入れなければならない」といった物理的衝動に動かされるわけではあまりなくて

 

 

男性ホルモンの影響はあっても

 

精神的・感情的理由が大きく関係していると思える。

 

 

だからそういう部分が満たされること無しに、満足は難しい。

 

 

ただ、どの部分が満たされれば満足するのかは、判断が難しいところだ。

 

最終的には、意識で満足するのだろう。

 

 

行動を起こさせるものは、エモーションと表現される通り「感情」であって、「欠乏感」と表現しても差し支えないと思う。

 

欠乏感が途方もなければ、いつまで経っても満たされないことになる。

 

 

たとえば車をなんども買い換えるような人の欠乏感は、物理的なものというよりは、精神的なものと言える。

 

それに比べれば食欲や性欲は、物理的な部分が大きいと思える。

 

 

まあ、飢えた人に説法したところで無意味とは思うので

当初はとりあえずなんでもいいから物理的に満たす必要はある。

 

 

どんな器だって、絶え間なく水を落とし込めば、いつかは満たされるのだから。

 

 

私のような親の愛に飢えた、ものすごい欠乏感を抱えた人間ですら満たされたのだから、20年も続けていれば、いつか満たされる。

 

 

無責任かもしれないけれど、そんなに切羽つまっているのなら、やるしかない。

 

 

考えるのは、それからでいいのではないか。

 

やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい。

 

まあ、かなり時間をムダに生きたかな、という気がしないではないが。笑

 

 

てな感じで、結局こちらからは何も有益なアドバイスはできなかったのだが

 

カフェのマダムは、性欲のバランスを整えるレメディなどを勧めていらした。

 

 

なんとか、よい方向に向かっていただけるとよいと思う(気休め・笑)。

 

 

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