(「男性性と女性性のバランスについての講座・その1」より続きです)
そもそも、夫は自分が正しいと思っているが、万人に正しいという事などない。
それを正しいとして押し切りたいのはエゴによる。
正しい事を通す根底に、「負けたくない」という意識が存在している。
行動の動機には必ず何かしらの感情が存在しているが、それは感情に相当する単語「emotion」が、motionを起こさせるもの(e-)と表記される通りである。
話し合いをする際、夫は必ず上げ足を取り、論点をすり替え、相手を貶めて弱みに漬け込み、そのタイミングで自分の正しさを主張し、さらに要望を増やしてくる。
それはいつものやり方だが、その根底には常に「負けたくない」という意識が存在している。
最初、Oさんが夫を感情的世界に居続けると表現していたが、夫自身は理系の人間だし、わりと論理でたたみかけてくるので、その表現がいまひとつピンと来なかった。
しかし、「負けたくない」という意識は、感情の範疇だ。
それでようやくOさんの言うことが納得できた。
理系の男が感情的なのは、私も何度も見てきた。
彼らは感情を論理武装するのだ。
誰にも感情的な側面はあるが、それをあたかも正当であるように見せるのが論理武装である。
私はそれを、「男の腐ったの」と呼んでいる。
理論を盾に感情を押し付けてくる男は、まったく始末に終えない。
最初から感情で押し切る女の方が、徒手空拳な分まだ男らしい。
さらに言えば、「負けたくない」の根底にあるのは不安である。
そこまで見て、ようやく夫のポジティブに見える部分、論理性や積極性、攻撃性や策略性、そういったものがすべて感情的でネガティブな側面に支えられたものであることが見えた。
氷山の一角の魅力的な部分は(私にはそれらが魅力的に見えていた。少なくともその辺は私にはないから。)、膨大なネガティヴに支えられ、それが明け方近くになると無意識に表出し、周囲にサイキックアタックを行っていたのだ。
その元は、不安にうちふるえる小さな子供かもしれないが。
それらがざっと明るみに出て、彼の言動がすべてつながった。
正体が見えた今、私は夫に対して自分を卑下する気持ちはなくなり、自分を自分で疑うことはなくなっていた。
論理でどうあろうとも、嫌は嫌でいいのだ。
相手も勝ちたいから勝つという、感情に裏打ちされているのだから。
同じことだ。
夫が感情でぶつかってくるから、こちらも感情を出さずにいられなくなるのだ。
結局夫は、同じことを私からされている。
人に何かをすれば、同じことをされるのだ。
だから私はいつも夫がいるだけで怒りを感じていた。
自分の感情の不条理を恥ずかしいと思い、理由がずっとわからなかったが、それは夫が常に感情的だったからだ。
人は人を、表面的に見ているわけではなく、全体でとらえている。
夫には勝ち負けの世界しかなく、それを超える概念はいまのところない。
それを知って、やはり生きていく世界は別なのかもしれないと感じた。
もしかすると、「負けたくない」と思った動機は、「母親に見捨てられたくない」とか、「母親のため」だったのかもしれないけれど。
そこには愛があるのかもしれないけれど。
私については、支配することしか考えていないと思う。
従来ストイックに努力することが得意だったが
今世では感覚や感情にフォーカスし、それらを楽しむことが課題だという。
だから母は蟹座なのかもしれない。
星にも表れているのだ。
ところで男性性と女性性のワークショップは、スカイプ参加者は私一人で、
会場には男性と女性一人ずつがいらした。
その男性はオーラソーマを学んで、それを生活に生かして行こうとしているらしいが、そういう男性もいるのだと感心した。
見た目は特に女性的であるとか、そういうことはなく、普通の男性だった。
また、このワークショップを主催された、オーラソーマの先生も見えていたが、昨年11月に亡くなられたお父様のお話をされていた。
彼女のお父様はとても優しく、お母様との仲もよく、彼女の中の男性性と女性性のバランスにそれが表れていると思う。
ワークショップが終了しておしゃべりタイムになった時、パートナーとの問題に及び、セクシャリティの話になった時、そのバランスが男女間で取れていないと問題は切実だという意見が聞かれた。
確かにその通りだし、バランスはセクシャリティに集約的に出るような気がする。
私たち夫婦間のバランスも、そこに出ていた。
本質的には夫のセクシャリティが弱すぎたため、夫は意識的な部分での支配に乗り出した、とも言える。
逆にエネルギーにダイレクトにアクセスできるバンパイアだったので、セクシャリティの部分が退化していたとも言えるのだが。
先のオーラソーマの先生のお父様によると、性的な強さは手首と足首の太さに表れるそうだ。
それはなんとなくわかる気がする。
そんなことも娘に教えるとは、大したお父様だと思う。