卒業式の翌日、そのアルバムは届いた。
彼女の言った通り、彼女の写真はなかった。
私がアルバムを買ったら、
「勿体無いね。」
と言った。
それでも悲しいかな親というもの、子供の写真を探してしまう。
そして、やはりなかった。
紙面はあふれんばかりの若さと輝かしさで埋め尽くされていた。
これが3年、いや2年前だったら、私は彼らがうらやましくて仕方なかった。
そこから外れた娘を憂い、心配に囚われていた。
この学校のイメージに沿った華やかで積極的な人々と、どうして娘は違っているのだろうと心を痛めていた。
でも今は、素晴らしいとは感じても、羨ましいとは思わない。
そこにいないことは、失敗ではないから。
そこに載らないいくつもの道があるから、ということを、いまは信じることができるし、感じることもできる。
そこに写っているのは、華やかな限られた側面でしかなく、ここに取り上げられないネガティブの中に、もしかしたら輝きがあるのかもしれないから。
娘の学科の卒業生は確か63人ほどだったと思うけれど、卒アルに顔写真が載っているのは41名だった。
約3分の1の学生は、卒業がまだ確かでなかったのかもしれないし、アルバムにその姿を残したくなかったのかもしれない。
そうしたここには載らない人々にも輝きはあって、ただ、ここでは見えないだけである。
彼らの迷いや諦め、痛みは同等に、美しく尊いものかもしれないのだ。
ともすると私は華やかな側面に目を奪われがちで、それらに憧れ追い求めてきた。
努力を重ねるのはひとえにそれらを得たいがためだった。
その華やかさへの志向が、ストイシズムを私に選ばせていた。
身近に、表面はおだやかなのだが、根底にとても負けず嫌いの人がいて、そのプレッシャーからサイキックアタックを周囲に続けていた。
表と裏の大きすぎる違いに、私はずっと混乱していたが、いろいろあってその人の実像がやっと見え、根底に根強くあるのは不安であることが理解できた。
日本で一番と言っていいほど日照量も多くおだやかな気候の中で育ち、明るく気取らずポジティブな人だと信じていたが、隠された勝利への猛烈な執着心を知って、すべての行動のつじつまが合い、納得できた。
一概には言えないが、太平洋側で育った人は、ものごとのいい側面ばかりを追い勝ちな気もする。
日本海側の雪深い冬に耐え抜いた人は、人のネガティブな面に対する耐性があるように見える。
マンガ家が多く輩出される背景には、そういったネガティビティに対する姿勢があると言えるかもしれない。
マンガ家は忍耐の必要な稼業であると思うが、その地道なステップに耐え抜く圧倒的な強さを、日本海側や北海道の人には感じる。
自称「明るい人」の深い闇を見たことで、「明るさ」のイメージがゆらぎ、闇とは「光を当てないこと」そのものを指すように思った。
闇を自覚している限りは、闇ではない。
どんなに深い闇も、意識することで光になり得る。
逆に深い闇を作り出すのは、光を追い求めるからだ。
光しか見なければ、闇はどんどん濃くなる。
「あなたはわたしとともにいま天国にいる」
と言われたのは、磔台にいたキリストだ。
どんな状況であっても、どんな闇であっても、それは天国になり得るのだ。
寄り添う気持ちさえあれば。
後日、その自身の姿のないアルバムを、娘が見ると言う。
自身が写っていないからこそ、見る気になったのかもしれない。
かえって傍観者のように、楽しく眺めていたようだった。
その一角に目を留めると、
「よつやさん亡くなったんだ」
と言った。
大学新聞の一面が映る写真に、その記事を見た。
よつやさん、もしかしてあの人のことかと思った。
四谷駅で乗り降りする人なら知っているかもしれない、ホームレスの男性だ。
学内でそのように呼ばれていたことも、その時まで知らなかった。
勤め先が2004年から2006年まで四谷駅付近にあったので、その存在は知っていた。
ただ、朝は始業に間に合うよう、昼は時間内にお昼を調達するためいつも足早に側を通り過ぎていたので、ほとんど気持ちを捧げることもなかった。
しかし存在感は大きいので、心の隅にその人はいつもいて、重石のように何かをアピールしていた。
ホームレスの人がいる場所はある程度限られているが、四谷にいる人というのは珍しい。(昔は鮫ヶ橋という場所が程近くにあったけれど)
だからイグナチオ教会がある関係で、この人はその場所にいるのかと想像していた。
「よつやさん 亡くなる」で検索してみると、大学新聞のツイートと、生前行われていたインタビュー記事が出てきた。
亡くなったのは昨年の5月だった。
昨年の6月に大学に来た時は姿が見えなかったので、どうしたのだろうと思っていた。
神学部の教授が心配するので、四谷見附橋のたもとに居続けているということが書かれていた。
記事は2016年のもので、その時点で17年居続けているということだったから、1999年からいらしたということになる。
記事によるとよつやさんは武術家で、かなりアグレッシブかつスピリチュアルな方で、学生のインタビューにも真っ直ぐに答えられていた。
記事は「こうした社会のネガティブな側面に寄り添ってこそのグローバリズム」とまとめられていて、記者の浮つかず慈愛をもって物事をすくい上げる確かな目を感じた。
私はよつやさんに話もせずに過ぎてしまったけれど、光の中にありながら明るい部分に惑わされない学生もいる。
これでよかったのだと、アルバムを見て思う。
ここには、すべてがある。
光を求めれば闇が生じるが、闇を見つめれば光が見える。
(写真は折れ曲がって、光が差したように見えるB100メタトロンレスキューのポスター)