先の記事でトラップ除去のヒーリングをしていたAさんを紹介してくれた、オーラソーマの教室での講座だった。
この日は雪で、急遽キャンセルされた人も少なくなかったらしいが
これが先週のこととは思えないほど、今週は暖かく、桜もすでに満開となっている。
一方、26日は娘の卒業式で、27日に夫が会社の人を通してセッティングした面接を控えていた。
娘は面接に気乗りがせず、毎日その旨を時には涙混じりで訴えていたが、娘は直接夫には言わなかった。
言えなかったのだ。
で、卒業式前日に、無理と判断した私は面接を断ることに決めた。
果たして卒業式当日それは決行され、夫には事後報告した。
夫は話し合いのできる人間ではなく、本人もいつも勝手に決めてことを運び
私には事後報告なので、それでいいのだ。
本当に娘の将来を考えるなら、それでよかったのか、私自身少し迷いはあった。
しかし式を終え、学科別集会に娘を送り出して大学を後にし、東京駅構内を歩いていた時、ちょうどすれ違いざまに小さい女の子が嘔吐した。
保護者、お母さんにしては少し年が行っていた女性が、叫びながらその吐かれたものを受け止めていた。
それを見て、やはり私のしたことは正解だったと思った。
その女の子に、自分の小さい頃が重なったのだ。
東京駅にいたのだから、女の子は長距離移動した後だったかもしれない。
多くの変化を経験し、慣れないものを食べたりして、体に負担がかかっていたかもしれない。
保護者の人は少し怒っていた風だったが、それは子供の落ち度ではない。
大人の都合を拒否できず受け身で付き合わされ、しかし体はそれを受け付けられないで出た反応だろう。
「吐く」というのは、意識的にもそれを受け入れられない、自分に必要なものとして消化できない、ということだからだ。
私はまだものごころつかないころ、おそらく3歳頃、自家中毒の診断を受けていた。今で言う?ところの小児神経症である。
私はよく吐いては、親に叱られていた。
しかし、吐くのは子供が悪いからではない。
親の都合が飲み込めないだけだ。
つまり原因は親にある。
今回の面接の件も、これと同じだと思った。
親はそれが子供にとって良い策だと思っている。
が、それを子供は受け入れられない。
親の側から見て、いかにそれが甘えであると受け取れようとも、
子供はそれを受け入れる気にならないのである。
それはすでに、子供にとって良い方法ではなくなっている。
そうしたら、他の方法を取らなければならない。
昔は自律神経失調症というと、「甘え病」と言われ、親からも医者からも説教されたものだ。
しかし、それはゴリ押しであって、最適な解決方法ではないと思う。
しかし往々にして古い対策しか取られていないことがある。
少なくとも夫は、ゴリ押し以外の手で解決をしたことはない。
どんな時も、自分が正しいからという理由で、話し合いのテーブルにつかずに事を押し通してきた。
端的な例では、夫はトンカツが好きで私は食べられないが、必ずトンカツ屋に連れて行かれた。
彼の中では、他の方法はなかったのである。
他のメニューすら頼む事を許されず、結局トンカツを我慢して2~3切れだけ食べて、後は夫に与えた。
そのくらい夫は強引で、私はそれほどに押しが弱かった。
もっと主張のハッキリした女なら、
「そんな人とは付き合えない」
と言って、帰っていただろう。
それだって良かったのである。
結局、結婚の日取りも、場所などの都合も、妊娠のタイミングも、家を買う時や保険、金銭の授受についても、さらには財テクでマンションを買う際も、ほとんど話し合いはされず、一方的に決められてきた。
この中で話が持ちかけられたのは、結婚の日取りだけである。
それも結局、私の都合は却下され、本人の希望で決められてしまった。
それにNoを言えない弱い自分がいたことも事実ではある。
もともと私の押しが弱いから、話し合いをしようと思わなかったのかもしれない。
そもそも、私は結婚したいとも思っていなかった。
しかし、そう望む人がいるなら、自分は幸せになりたいとも思わないからそれでいいかという、消極的な理由だったのである。
つまり、自分の幸せについて、まったく前向きではなかったのだ。
これをまずいと思ったのは、子供が生まれたからだった。
生まれたのは女の子だったので、自分を見て育てば間違いなく不幸になると思った。
そこで初めて、どうしようと考え始めたのである。
強引で自分にとって不都合な男性ばかり受け入れてきたということは、先月末のOさんのセッションで明らかになったが、
これを男性性と女性性のモデルで見ると、理性などの男性性が強すぎて、感情や感覚で受け取る女性性が抑圧されている、ということになる。
私の生き方自体が、まさにそうなっているということである。
その生き方は、生殖器の異常などに表れる。
子宮筋腫がいい例である。
女性性に目を向けず、それを抑圧し、男性的都合中心に生きてきたことが体にも表れている。
確かに、「女はダメだから」と父に言われた通り、なるべく女性性は抑圧して、男性的に生きるよう努力してきた。
そのバランスが変わらないと、出会う人も変わらない。
21日のワークショップで、講師のU先生が
「女性的エネルギーと男性的エネルギーを体内で実際に感じたことがありますか?」
と尋ねられていたけれど、もちろん、全然感じたことはない。(笑)
先生によると、それは頭で統合するとか理解するといったものではなく、感覚で理解し統合されるものだという。
U先生はもともとオーラソーマの草分け的存在で、プラクティショナーとしてお仕事もされていたが、夫婦間に問題があり、離婚してオーラソーマからも離れ、フラの世界を通して男性性と女性性の統合に至ったという。
私は夫との関係から常々自分の女性性と男性性がアンバランスであることを感じていたため、このU先生のワークショップを知った際は迷いなく申し込んだが、先月27日のOさんのセッションがダメ押しとなった。
出会う男がこれだけ強すぎるってのは、私が女性性をものすごく抑圧しているからである。
また女性性に付け込まれて搾取されるため、女性性を隠さなければと思うようになってしまって、悪循環に至っている。
もしかしたら逆に女性性を出した方がいい結果になったのかもしれないが、ここまで男性性で抑え込まれてしまうと、もはや表現できないと思ってしまう。
そんなわけで、男性性と女性性のバランスを取るのは自分的に至難の技だったが、先生のお話を伺うと、どうもそうでもないようだ。
コツを伺うと、案外簡単にできてしまう、といった感じだった。
そのためにも、自分の感情や感覚にもっと耳を傾ける必要がありそうだった。
と、思っていたところに、今回の夫による面接勝手にセッティング事件が起きたので、いい悪いで判断するのではなく、これは「嫌だから嫌」という感覚的理由で押し切るべきだと思い至った。