(「男性性と女性性のバランス・その1 魂のぶつかり合い」
より続き)
自分の本質を勝ち取るための、闘いの始まりなのだ。
闘いを受けて立ってくれた相手がいたのだから、存分に力をぶつけて
自分の道を明らかにすべきなのだ。
つまり、決裂しかない。(笑)
しかしお互いに新たな道がみつかるはずだ。
バンパイアとの闘いも、そうにちがいない。
私は私になるために、バンパイアと闘う。
そうした魂の対戦相手に恵まれたのは、感謝に値するかもしれない。
こうして初めて、本当の魂の道が始まるのだ。
だからそこまで関係が悪化したことをよろこぶべきである。
うまく合わせているうちは、わかるはずもないのだから。
「てめえなんか死ね」
ということばが出てこそ、本懐である。
そんなことを考えてしまう自分を申し訳なく思うことはない。
そこまで来て、初めて入り口だ。
というわけで、W君もそうした境涯に差し掛かったということか。
彼は母子家庭で、お母様思いのいい青年だが、それまでにはいろいろなご苦労もあったと聞いたし、またお父様ともそうした確執は味わおうにも味わえなかっただろう。
と勝手に人の人生をまとめているが(笑)
諍いや争いも、悪いことばかりとは限らない。
いや、むしろ、どんなことも
流れ的には調和へ向かっているのだ。
より高次の調和へ。
逆行はない。
そして抑えるところに、真の調和はない。
出るトラブルは出るのだ。
つっても、楽しいとは限らないが(笑)。
いまのW君はそんな家庭内のことも遠慮なく漏らしてしまうし
むっつり押し黙っていた中学・高校の頃と比べたら
どれだけ付き合いやすいかわからない。
当時はいったい何を考えているのか、ちっともわからなかった。
それでも男性の目にも女性の目にも魅力的だったらしく、そういった噂が途切れることはなかった。
バンドのメンバーも、彼の才能その他に惹かれて集まったという。
そしてどんな些細なことがあっても、遠距離であろうと彼らは駆けつける。
メンバーのうちギターのH君は私と小・中9年間同級で、高校は別のクラスだった。
席で隣に座っていても、押し黙って何を考えているのかわからなかった。
毎年くれる年賀状は、必ずウンコの絵が描かれていて、それは中学に入っても変わらなかった。(笑)
聞くところによると高校でもそうだったらしい。
それがいつの間にかバンド活動に熱中し、その陰にW君の存在があった。
誰にも心を開かないように見えたH君が、W君には特別の信頼を寄せていることが
私には不思議で、一方で安堵感を覚える。
あのウンコ柄を見ると、彼がどういった人になるのか、少なからず不安だったからだ(笑)
そんな彼でも今は口を開くようになり、当時どう考えていたか飲み会ではつぶさに語ってくれて、しばしば驚かされる。
その日も夜の飲み会には参加するということだった。
今でも毎月、W君に会うために名古屋からやってくる。
そのくらいW君はピュアで、魅力を持っているのだ。
W君がかなり女性性の強い男性であることも、その理由の一つだろう。
先に書いた通り、母子家庭でお母様との絆が強いこともあるし
わりと他を受け入れる傾向にあるし、その他右脳的だったり、インスピレーションを得て感覚的に動いたりといった感じが目立って見える。
私にとっても、そのあたりにずいぶん救われた部分はあると思う。
それまでの男性モデルが、彼のおかげで大きく変わった。
彼と再会して、交流が始まったのが2012年末だが
同時期、何人か女性性の強い男性と出会った。
もちろん男性性も備わっていて、分析的だったり論理的だったり左脳的な部分でも優秀さを見せている。
バランスがいいということかもしれない。
だからこそ、奥さんやお嬢さんとそのような状態と聞いて、意外に感じたのだ。
今の経済社会は男性的な部分でほとんどができている。
(「男性性と女性性のバランス・その3 童心と成熟」に続きます)