(「男性性と女性性のバランス・その2 女性性の強い男性」
より続き)
しかし思うに、結婚という閉鎖的なシステムは、あまり人を幸せにしないのではないか、ということだ。
従来の共産主義を手放しに絶賛するわけではないが、子供もある程度開かれた場所で共有の意識のもとで育てられた方がいい部分はあると思うし、夫婦にしても同じだ。
一人の女性、一人の男性を一対一で閉鎖空間に閉じ込めても、やがて煮詰まり、互いを大切にしなくなる。不幸のモトだ。
いっそ婚姻などはなく、それぞれ旧姓のまま、一緒に暮らしたい人は好きに過ごし、一定時間がたったらバラけるようにしておいてはどうか。
いや、今もそのあたり、自由といえば自由だが、そこを不自由にしているのは所有欲や思い込みだったり、経済的要因だったりするのだろう。
いま婚姻というシステムが保たれているのは、少なからず女性のためでもあるのだろう。
細かい形式については今のところ思い及ばないが、なんとかいい策が思い浮かばないものか。
特に老後が長いとなれば、もう、今までと同じように夫婦二人だけで家庭を維持するのは無理なのではないか。
ちなみに、姓に関しては、個人的に仕事は旧姓のまましているし、結婚当初からそれは貫いていた。給料の振り込まれる口座が旧姓でないだけだ。
(新しい姓で姓名判断をすると、この字画だけは避けなければならない!!と必ず言われるほど最悪の字画ということもあり・笑)
食事のあと、海辺に出た。
しばらく雨の日が続いていたが、その時間だけはなんとか雨も上がって、薄日も差していた。
予報では雨だったのでさすがにスケッチブックは持って来なかったが
長靴で来たので、私は波打ち際を歩いた。
しかしせっかく海に来たのだから、すこし浸からないともったいない。
と思い、靴下を脱いで足を漬けた。
「そういうことなら」
と、W君は「なんで走るのにこんなに大きな荷物をもっているんだ」
と訝るほど大きいリュックの中から、水辺用のサンダルを取り出した。
その中には宇宙毛布まで入っていた。
聞くと、飲み会でその場に寝込んでも、カゼをひかないように持って歩いているらしい。冗談かもしれないけれど。
さらに、海パンまで入っていた。
彼はダイビングのインストラクターをしていて、今の奥さんに出会ったのだ。
そして彼が免許を取らせた人は、今のところ奥さん一人だという。
さすがに海パン姿にはならなかったのでほっとしたが
海は開放的な気分にさせるから、それに抵抗しないほうがいい。
童心とのバランスは必要で、彼はそのあたりも取れていると思う。
都内から走ってきたのかと思ったら、逗子駅からだった。
小雨ではあったけれど、海岸線を走るのは目にも楽しいかもしれない。
お座敷だったらどうするんだろう。
夜の飲み会は、前回のブログで書いたアメリカ在住の友人の里帰りに合わせたもので、やはり小中高の面々だ。
私は大勢での集まりが嫌いなので、失礼させてもらっている。
狭い世界で、うじゃうじゃ生きている。
子供は私学の高校に外部生として入ったので、小学校からの内部を世間知らずで気持ち悪いと言う。
私は初めて外部生の立場になり、外部の親ってこんな感じなのだと知った。
内部、バカだし、外部にしてみればウザいだろうね。まあ優秀な人もいるけど。
私は今も、なじみにくい外の世界に右往左往しながら生きている。