カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

ファンタジーの中で

執事喫茶に行った。

ポイントが貯まっていたので
誕生月特典のバースデイカードと12月の紅茶がゲットできた。

他のお嬢様(お客様)の前でお祝いの言葉と共に渡してもらえる。


「受け取る」習慣のない、そして主役をやり慣れてない私には、かなりのいたたまれない感で、たちまち汗だくに。



ご一緒してくださった方は筋肉フェチで 執事喫茶は初めてだったが、

「若いイケメンの執事さんばかりじゃなくて、年齢が上の人(じいや的な)もいるのがリアル」

「マッチョでなくても、男性に求めているものはこうした心遣いだから」

と(お言葉はこの通りではなく、要旨的にはこのような感じ)喜んでいただけた。


その後しばし男性談義で盛り上がることしきり。

「ここにいると、自分が男性に求めるものが何かわかる」

「ただ大切にしてもらいたいだけなんですよね」

「マッチョな人だと関心が現実的過ぎてつまらない」

など、素直にして鋭い発言が相次ぐ。


感性がみずみずしいクリエイターのことばに、目を逸らし続けていたこと、見ていたけれども言葉にできなかったこと、そして封印していた感情が呼び起こされる。


そうだ、ただ大切にして欲しいだけだ。
でもそれだけのことが、現実ではなかなか起こらない。

上に立ちたいのでも、支配したいのでも、意のままにしたいわけでもない。


思えば私は常に夫からそうした意向を感じていた。

ひとりの人間としてではなく、夫の内側の何かを投影された存在としてあるよう、求められていた。

夫にとって私の人格はどうでもよく、ただ忠実に願望を投影するスクリーンであればよかった。

男性は何らかのファンタジー、虚構を生きている。それが私の、男性に持つ印象だった。

女性もある意味同様であるかもしれないが、女性からは男性が見えている。逆に男性から女性は見えない。それが大きな差であると思う。


この感覚は飽くまでも私独自の感覚であり、私にとっての現実は自分の内部が投影されたものであると思って、思い込みや感情の枠を外すよう努めてきた。

夫が傍若無人なのも、自身の男性性が強すぎて、女性性をないがしろにしているからだと思い、バランスを考えてきた。


その努力はある程度周囲の状況に表れてきたが、夫とはますます差がはっきりとし

その差がサイキックアタックのようになって自分を苛むに至った。


一方でその差は、私が何者であるか気づかせ、自分を大切にするよう仕向けてくれた。


ファンタジーにもがいて、別のファンタジーに癒される。



ショップで求めた執事歌劇団オペレッタDVDは、愛に生きたが故に怪物となり、そのまま愛を貫く少し悲しい男性の物語だった。


これからは別の現実を、生きようと思う。

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