カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

淀みと滞り

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寺で和尚が、
「地相のいい土地に住まないと、不幸が起こる」
って常々言っていたけど、小坊主はだんだんそれに疑問を抱くようになってきた。

だって、怪しげオーラがトグロを巻くような土地にだって、
成功している人はいるもんね。
多くの芸能人やアスリートが出ていたりするし、
全員が全員同じ運命を辿るわけじゃない。

確かに洪水が多い水道(みずみち)や、水はけの悪い元湿地に住むのは、
いろいろ困難があると思うけど、
土地との関係だって、その人が縁を作っているような気がするしね。

つまり、その人次第なんだと思う。


先日また、行きつけの都内の商店街に行ってきた。

そういう商店街は、たいてい私が「何か感じる」ところにあったりする。
(私が一体何を「感じて」いるのかは、自分でもはっきりしないので、
まあその程度と思っていただければよいのですが・・)

たぶん、水の流れている場所にあることが多いからだろうと思う。
水のあるところに人が集まるのも、本能的というか、まあ道理ですよね。

私はギョーザがムショーに食べたくなるときがあるんだけど、
ギョーザ店というのは、そういう商店街にあることが多い。
(これを、「水みちと商店街とギョーザの法則」と、勝手に呼んでおる。)

ぶっちゃけて言ってしまえば、そういう商店街で売られているお惣菜は、
そんなにウマいわけではない。
赤いウインナーとか、赤い縁のハムカツとか、それに近いものだ。

いや、ウマい方かもしれないが、
どこか一点、気になる匂いがしたりする。

それは自分の完全な主観で、実際にそのような匂いが存在しているものなのか
よくわからない。
あくまでも自分だけの感じるものと思うのだが・・

ある時は腐敗臭に近かったり、埃臭さだったり、かび臭さだったり。
絶対そうと言えるような確固としたものでなく、それっぽいもの。
なんとなく、「滞り」を感じさせるようなものだ。

水路の形にできた町を歩いていると、だんだん疲れて来る。
ずっしりと重いものを感じる時もあるし、ひどい時には、目がまわってくる。

気のせいと言えば言えるのだろうが、
これがもっとハッキリしたものが、ダウジングの能力、とかかもしれない。
弘法大師くらい能力があれば、それは役に立つんだろうけど。

その街は、水路を暗渠にして造ったものらしい。
水はそのまま下にあって、流れているところもあれば
流しきれないで滞った部分もあるだろう。

水も、流れていればいいのだが、どうしても流せない部分も当然作ってしまう。
水路付近のどこかすっきりしない雰囲気は、そういう理由によるのだと思う。
(と、勝手に断定)

そう考えてみると、ほとんどの弊害は、淀みから来るように思う。
場所にしろ、体内にしろ、感情にしろ、たいてい当てはまる気がする。

場所で良くないのは、水の停滞するところ、または残留思念のあるところなど。
体内においては淤血(おけつって、これでよかったかな?)。
感情においては縺れ。

だから、松居和代じゃないけど、お掃除が大事なんだろうね。

そして淀みと言えども、もとは悪いものではない。
生じた時に遡ってみれば、みんないいもの、というか、いいも悪いもない。
だから、地縛霊といえど、マボロシなのだ。


なんか抽象的になったけど、自分がそういうところに惹かれ、
なおかつ何か感じて帰ってくるってことは、自分の中にも淀みがあるからなんだろうな。

その淀みは、魅力と言えないこともないけど。

(写真は、それとあんまり関係ないアワビかゆでございます。)