今日はちょっとデリケートな話題です。「いのちと食について」。
ですので、「あ、ダメかも」って方は、また次回来てくださいね。
今、映画「豚がいた教室」が上映されてますね。妻夫木聡くんが先生役で。
明日、それを見にいこうと思います。
先日、ずいぶん久し振りに、友人たちに家に来てもらったのね。
うちには7歳になるウサギがいますが、彼女たちが前回遊びに来たのは
その子が来る前だったのね。
で、部屋に入ると、
「あらー、ウサギがいるのね。」
そこまではよかった。でも、
「食べるために飼ってるの?」
んなわけないだろ!?
「でも、昔はねえ」
まあ確かに、そうです。うちの母も食べたと言っていました。
さらに、
「でもウサギって、鳴かないからいいよね。
だから動物実験に使われたりするんだけど。」
はいはい、わかりました。
皆様、よく言ってくださいます。
これが犬や猫だったら、「食べるために飼ってるの?」とは言われないでしょう。
「でも、もし苦しくなったら、食べるでしょ?」
なかなか、諦めのわるいこと。
「食べないよ! 一緒に死ぬ。」
と言いましたが、信じていないようでした。
しかしその後、子どもの受験の話になった時。
そのうちの一人、Aさんとしましょう、その方のお子さんが農業高校に進学されたのだそうです。親子ともども、すごく楽しかったらしく、
「私が行きたかったわ」
と話していらっしゃいました。
その実習の一つとして、『ニワトリを育て、それを潰し、料理をして食べる』
というのがあったそうです。
タマゴの状態から、孵してヒヨコにして、かわいい時をいっしょに過ごした
そのニワトリをです。
まあこれは、当たり前のことです。
うちの親の家でも、祖父は名古屋人でしたから、
毎年お正月の食材として鳥をつぶして食べていたと聞きました。
でも、Aさんは食べられなかったそうです。
お子さんは肉がもともと好きではないので、あまり召し上がらなかったそうですが、
それでも一応授業の一貫なので、少しは口に運ばれたそうです。
ここには、深い問題があるような気が、私にはします。
昔(いまも?)、『原律子(はら りつこ)』という(エロ)マンガ家がいました。
この人がマンガに描いていましたが、
自分の家で、縁日で買ったヒヨコを飼っていたそうです。
でもあるとき、それがいなくなって、食卓にカラアゲの姿で出てきたそうな。
彼女は困惑した。でも、それを食べたそうです。
そうしたら、おいしかった。
そのことが、とてもエロいと感じたそうな。
それは、わからなくはありません。
その、食といのちに関する感覚と言うのは、それぞれの人独自のもので、
どれがいいとか悪いとかで強要することではない気がします。
その感覚は、その人が長い生を送る中で育んだ、独自の感覚という気がします。
さて、では、私はうちのウサギを食べるか。
それは、たぶんないと思います。
その時になったら、彼女が肉のかたまりに見えてくるかもしれない。
でも、それはその時になってみなければわかりません。
でも、刃を向けるのは、、とても難しいことのように思います。
映画『豚のいる教室』は、(おそらく)それを問う映画です。