カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

最初で最後

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昨年、上野の国立博物館に行った際、
『レモン電池実験セット』
なるものを仕入れておいた。

840円ナリ。

オルゴール付きの回路と、亜鉛板・銅板が入っておる。

昨年秋ごろ、子どもの学校のテストで
それに関する問題があったのだ。
「オルゴールを鳴らすためにレモンに差し込んだ金属板は
どのように変化するか」
というような問題だった。

子どもは、理解できていなかった。
かく言う、自分もである。

私が小学生5年のとき、一週間に一度「自由研究」の時間があった。
各自テーマを決めて、1時間をその探求に費やす。

私は、3年生の時に家で買ってもらった
「レモンと実験」という本が気に入っていたので、そこに乗っていたいくつかの実験をしようと決めた。

その実験は、子ども一人でやるには、チト材料調達がたいへんであった。
実験器具は理科室から借りればいいが、金属板を探して切るのも、
回路を組むのも、自分にはかなりの難題だった。

だいたい主役のレモンも当時は高価で、一個300円以上していた。
私の小遣いがひと月500円。
なんとか少しでも安くならないかと、毎日近所の果物屋をのぞいた。

レモンの値段は、日々かなり変動していた。
「サンキスト」のだったから、対ドルレートが反映していたのだろう。
レモン1個1ドルぐらいだったのでしょうか。
一時200円近くまで下がったが、その後また上がり始めた。
結局親に買ってもらった気がする。

本に載っていた実験のうち、できたのは
「レモンでお金を磨くときれいになる」
「レモン果汁を使って金属磨きをつくる」
「人参をアルコールに漬けて色素を出してみる」
程度だった。
その本のメインである「レモン電池」は
結局作られずじまいだった。

そこで残った禍根(?)と、子どもへの必要性が、
私にその実験キットを手にさせた。

なんとも便利になってしまったものだと、しばし感慨にふける。
オルゴールの曲名は、「聞いてのお楽しみ」らしく、書かれていなかった。

さて、すっかり安くなったレモンを半分に切り、
ン十年の月日をまたいで、未練を払拭すべく実験キットを子どもとともに組み上げる。

ふと、気づいた。
自分がわくわくしていることに。
そして、わくわくしながら実験をするのが、初めてだということに。

思えば、いままで楽しい実験などあっただろうか。

小・中学校時代からずっと、それは失敗談の連続だった。
思い出すのは、男子がふざけて過度に薬品を反応させたり、器具を壊したりした数々の暴挙と、
予想通りの結果が出ないで実験が終わらず、途方に暮れたことばかりだ。

実験が終われば、レポートが待っていた。
実験だけならまだしも、そのレポート、特に「考察」を捏造(?)するのが苦痛なのだ。
学生時代は再レポートの山、出しても出しても突っ返され、
ひどいときは5週分抱えて涙目だった。

早く書けばいいのに、嫌いだから
いつも翌週実験日の朝ぎりぎりになり、超ゆれる人間貨物列車・南武線車中で
レポート用紙と血まなこで向き合った日々が苦笑まじりに思い出される。

それは、自発的にした実験がなかったということだよね。

亜鉛板と銅板にハサミを入れ、銅線につなぎ、レモンに差してみる。

すると、かそけき音が流れた。

「なんだろ、『ブーズーの踊り』かな?」
かろうじて音階はあるようだが、曲調があるとはいい難い。

しばし珍妙なメロディを流して、音は止まった。
反応が止まると、音も止まるようだ。
別の箇所に金属板を差すと、またアヤシい音が流れる。

しかしどの箇所に差しても、あいかわらず同じメロディで
何の曲なのかわからない。

もう少し反応が持続しそうな媒体を探してみようということになる。
イオン化すればいいのだから、水でもいいはずだし、液体でそれが循環していれば
金属板の位置を変えたりする手間がないと予想した。

で、同じ酸っぱいものならいいだろうと、『酢』を持ってくる。

期待した通り、曲のテンポが速くなる。

これに気を良くして、何かほかにもっと使えそうなものはないかと探す。

重曹』があった。
重炭酸ソーダアルカリ性だが、イオン化すればどっちでもいいだろうと
つなげてみる。

すると、なんと、短調とずっと思っていたメロディが、
長調に変化したのである!(笑)
それまで、「なんて辛気臭い曲だろなー」と思っていたが、
メーカーさんの選曲センスが普通なのにちょい安心した。

やっぱそうだよね~
『実験が成功して、聞けてウレシー』てな感じの曲を入れといてくれないと。
成功のあかつきが『ブーズーの踊り』じゃ、萎えるよね~♪

うれしくて、何べんも聞いた。

が、何べん聞いても、それが何の曲なのか、わからなかった(爆)

これ以上媒体を変える根性がなかった私は、そこでとりあえず実験をやめた。

そのとき、フト思ったのだが、
「実験とは、成功しないのがあたりまえ」
ということだ。

ここでの「成功」とは、『期待した結果』である。

その『期待した結果』というのは、おそらく無限にある失敗談のうちの
ただ一つの結果ということである。

つまり確率「無限分の一」
でございます。
(「こんな言い方はない!」と、たしか高校のころ学内誌に書いていた人がいたと思ったが)

期待した結果が出るより、そうでない結果が出る場合の方が、はるかに高い確率
ということである。

昔の実験では、『期待した結果』にとらわれるあまり
まったく気づかなかったが・・。

ここで失敗か、成功かと分けているのは
ただ単に実験する人の意向である。

事象に関しては、それぞれただ同じ確率をもった、等価の事象でしかない。

つまり一つのポイントにいて、その先に広がるのは無限の可能性ということだ。

この結果が欲しいと実験して、一つの決められた結果だけを抽出するのは、
ある意味不自然と言うか、まあむりやり一つの可能性をさぐる、ってなもんだ。

ここで、他の無限にある可能性は、『失敗』と見なされ、捨てられる。

しかし、それを捨てなかったのが、あのノーベル賞をもらった人たちなのではないか。

彼らの多くが、ある時点で偶然(?)失敗を経験し、
そこからヒントを得たと言っている。

そう考えると、失敗はやはり一つの可能性で、
成功に至る一つの分岐なのである。

失敗と見なすからそれが失敗となり、それを失敗と見ず『一つの道』と見たことから
見ようによっては成功と思えることが起きてくる。

成功も、失敗も、ただ人間が後から付けた視点であり、価値にすぎない。

そう考えると、ちょっと生きるのが楽しくなるような気がする。


これは、今見れば、自分の欲しかった結果かもしれない。
膨大な時間と、お金をかけ、数々の失敗である実験を重ねて、
たどりついたのはこの一点。

ムダが、この一点に。

ある人から見れば、この一点すらムダであろう。

しかし、それが自分の人生。 C’est la vie!
それで、いいのだという気がする。

私はそれまで抱えていた、小学生のときの『レモンと実験』に対する未練と、
いままで続けてきた数々の実験での禍根を一気に払拭できた気がして、
ものすごくスッキリしました。

ああ、全部が終わった!
(あ、いや、実験という切り口において)

たった840円の実験キットが、こんな実りを自分にもたらしてくれるとは
思いもしませんでした。

最初で最後の、楽しい実験。
もう、子どもとこんな実験をすることもないでしょう。

さて、子どもの問題の答えですが、
亜鉛板は(酸と反応してイオン化し)溶けて、銅板には(気体が生じるので)泡がつく」
でございました。
(あららっ! 何の気体だったのか忘れてしまった!
気が済んだ私は、キットも説明書もみんな捨ててしまったので・・(^_^;))

それでも、曲に関しては疑問が残ったので、
キットを作った会社に電話して、何の曲が入っていたかを聞いた。

全部、知らない曲だった(爆)。

回路は低電圧にしか耐えられないので、電池には接続できませんと
注意書きにはあったが、メーカーの方によると、単4ならOKとのこと。

で、つなげてみたが、やっぱりなんだかよくわからない(笑)。

曲名は、ネタバレだからお楽しみとして言わずにおきましょう。
って、誰も実験しねーか。

そうそう、残ったレモンは、絶対食べてはなりません!(笑)