カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

某大卒3態

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昨年のことになってしまうが、先月末の新聞に載っていた
新明解国語辞典』の広告で

「この国語辞典は、
ビシバシ言うのだ。」

というコピーの後に

ぼんじん【凡人】自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして
他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。[家族の幸せや自己の保身を第一に考える庶民の意にも用いられる]

と、あった。

この解釈が正しいかどうかはともかくとして、
この解説を考えた人々は、そのように「凡人」を捉えている人々、ということである。

解説を考えるのは、たぶん一人ではないだろうから。

私などは、さしずめ凡人である。


でも、人が生きている限り、他者に影響力が皆無、ということはない。

一人が朝通勤前に何か買い物をキオスクなどでしたとして、その応対などの影響が及ぶ人間は約1万人、と言われている。

朝不機嫌に、店員さんに
「なんだよ応対、おっせーな」
とか言ったとすると、それが店員さんの気分を害し、
次に買うお客さんに応対が影響し、そのお客さんから・・と考えていくと
そうなるんだそうな。

誰が言ったか忘れたが、何かのコラムだったか。


また、天気予報が当たらないのは、その日洗濯物がどれくらい干されたか、などの
ささいなことがらが天候に影響するものだからだそうだ。(物理の教科書によると)

たとえばどこかでB’zのコンサートがあったとする。
猛烈に熱狂する。
すると出る水蒸気がハンパではない。
雲も一個くらい多くできる(いつだったか、ホントにアリーナの中に雲みたいなのができていた)。→ 雨が降る。

極端な話、こういうものだからである。

極端でなくても、だれしもなんらかの経済活動をしているわけだから、
それが他に影響しないわけがない。


生きている限り、影響力がゼロの人はいない。


さて、非凡といえば次に挙げるような人々を指すのかもしれないが・・

またも去年の話で恐縮だが、やはり昨年末、中学の同窓生で内輪の集まりがあった。

実は2ヶ月のうちに4回もあったのだが、そのある1日。

その日、某大に進学した人は3人来ていた。

某大学は、高校の同期卒業生で一番多かった進学先で、4人中1人が行っている計算になる。

高校と書いたが、中高が附属なので、中学の同窓生のうち半分近くが附属高校に行っている。
附属幼稚園も附属小学校もあるので、ヘタすると14年間も同じクラスなんてこともあるかもしれないが、さすがにそれは聞いたことがない。

私たちの頃は、小学校は6年間クラス替えナシだったので、
小中9年間同じクラスだった人は何人かいる。

また、中高で5年間同じクラスだった人もいる。

しかし大学は、附属という肩書きだけあるが、ほとんど別機関で
進学に優遇はない。


さて、その某大に進学した3人。仮にA君・B君・C君としよう。(3人とも男性)

A君は大学卒業後、某省庁に入り、キャリア組として出世。
ご父君も同じ省庁にいた。
おおむね某大に進学する人は、それまで寡黙で、
進学したとたんに一気にハジけるケースが多いが、
彼もだいたいその線ながら、それでもずっとバスケ部だったので
それなりに当時も人付き合いは悪くなかったし、消極的な人柄でもなかった。
それに当時からよく女性にモテた。

そのとある省庁でまた揉まれたのか、酒が強くなり、一段とよく話すようになっていた。
カラオケでもガンガン歌いまくって、
「これがあのA君?」
と、皆に言われていた。

当時私は彼と同じクラスになったこともなかったので、話をしたことはなかったが
規模が小さい学校なので、同学年でお互いに知らないということはほぼない。

でも私のような地味な女の隣りにも今回席を移して来てくれて、話しかけてくれた。(←ここポイント・笑)
それでもいつの間に誰かしら女子が彼の隣りに座りに来るから
やっぱりいまだに彼は人気があるのだ。


次にB君。
彼は中学の2年間、同じクラスだった。

しかし某SNSで中学のコミュニティを作っていた彼に(コミュ上で)再会した際、
彼は私という人間をまったく覚えていなかった。

彼は当時机に六法全書をいつも載せていて、休み時間であろうと勉強していた。
彼が席を立って他の人とコミュニケーションをとっているのを見たことがない。
つまり、私とも話をしたことがなかったのだ。

その甲斐あって、かれは某大の法学部に受かった。

その後彼は某大に入った人の例に倣うように、ようやく他の人とコミュニケーションを取るようになったらしい。
そして共働きの奥さんと家事を分担し、娘さんを溺愛している。
現在彼は別の大学の法学部の教授となり、専攻はジェンダー

しかしその某SNSで出会った際、友達申請が彼からあったのだが、
当時共感をまったく覚えていなかった同士で友達として成り立つと思えなかったので断わった。
そのSNSで、彼は私のページに遊びに来たこともなかった。

また、別のSNSに後日私は人に誘われるままに入り、放置していたのだが
今回同窓会のために、ある別の同窓生からこの学校のグループに(やや強制的に)入れられ、そこでまたB君と再会した。

B君はまた友達申請をし、今回はさすがにまとまりの強過ぎるコミュニティで
拒否もはばかられたのでやむを得ず承諾した。

が、彼は相変わらず私の記事には無関心である。

クラスメートだから友人といえなくもないだろうが、
彼の付き合い方を見て、「友達とはなんだろう」と考えるキッカケになった。

付き合い方の濃さが問題であると、私は思っていたのだが。

彼はそのSNS上で、大学の課題などを記事として発信している。

さらに中国語検定、韓国語検定などにも取り組んでいると書いている。

彼を見ていると、「向上心」という言葉が浮かぶ。

彼などは、先の「凡人」の概念によると
非凡な人、ということになるのだろうが、

私が大切にしている「多くの人がいいと言わないフィールドで活動する」といった価値観からは、一番遠いところにいる人のような気がする。


そして、C君。

彼とは高校1年のときだけ同じクラスで、やはりほとんど話をしたことはない。
彼には、白い体操着姿のイメージばかりがある。
陸上部で、いつも黙々と一人で走っていた。

彼もひどく女にモテた。
それも、広く一般にモテるというより、なぜか激しい人に猛烈に愛され、
そのライバル同士が熾烈な争いをしていた、というイメージがある。

細い線にうりざね顔で、公家のような雰囲気の人で
そうした人たちはやはり同じように激しい女たちから濃密にモテていたので
何が彼女たちをそこまで狂わせるのか不思議だった。

彼は某大大学院の博士課程を出て、ある医大の准教授になった。

しかしその飲み会で、ちょっと話をしていた際に
「なんか・・ちょっと疲れちゃって」
と、ぽつっと漏らしたのである。

ちょっと心配になってしまい。その後、私は会う同窓生すべてにコソッと
C君から目を離さないよう頼んでいるのである。

しかしその、比較的C君と親しい人々による、彼の人物像が
それぞれでかなり異なっているのがやや気にかかる。

Eさん(女性)によると、かなりスケベだという話だし、
Fさん(女性)によると、C君は中学時代からずっと一貫してGさん(もちろん女性)を好きだったから
一途でいじらしい、という話だし・・

余談だが、そのGさんという人は
C君ともよく一緒にいたが、同様公家タイプの激しくモテてたD君という人とも
よく一緒にいたのである。
D君もそういえば某大だった。D君はヒューストンで、あの失敗に終わった宇宙船の開発に携わっていたという話である。
しかしGさんは結局、やはり同級生のH君と結婚し
皆がどぎもを抜かれた。
H君はまったく公家タイプではない。

以上、特にオチはありませんが・・
長々しい文を読んでいただき、どうもありがとうございましたm(__)m
(写真は、使う機会がなかったボツ写真です)