カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

今ここが、どこでもドア

一昨日は花祭りだったけれど

お寺には行かなかった。

 

自分で勝手に甘茶を作って飲んだ。

 

以前にいた寺で分けてもらった残りだった。

 

あまりしょっちゅう飲みたくなるものでもないので

なかなか減らない。

 

年に一度がせいぜいだ。

 

体にはそこそこいいもののような気がするけれど。

 
 

さて、Macは無事、請求額の上乗せもなく

トラックパッドを交換したのみで返って参りました。

 

8万とか請求されたらどうしよう・・と不安でたまりませんでしたが

安心したので、ついウナギなど食べてしまいました。

 

厄除け、とか称して(笑)。

 
 

ま、ウナギも牛肉も、それぞれ年4回ずつ食べれば

それ以上そうそう欲しくはなりませんから(笑)

 
 

昨日はそのMacを受け取って、表参道に寄り道したのだが

築地に寄り道して本願寺へ行っていれば、甘茶をいただけたかもしれない。

 

去年は川崎の奇祭・かなまら祭に行った際、お大師さんに寄ったら

花祭り期間中で、初めて勤め先以外で甘茶をいただいたのだった。

 
 

来年はせっかくだから築地本願寺に行こう(笑)。

 
 

さて、今回の旅行で思ったこと。

 
 

アムステルダムについた日、雪が降っていて

ドイツよりずっと寒かった。

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心配していた通り、宿は駅からかなり遠く、

行き方もよくわからず、適当に降りたトラムの駅からも見当がつかず

寒い中相当手間取った。

 

幸い大変親切な方が詳しく教えてくださって、そこからはスムーズに辿り着けたが

 

チェックインした後も日曜で、あまり開いている店もなく

なんとか遅いお昼をアラブ人のコミュニティみたいなお店で取って

 

もちろんそこのアラブ系の方々も大変親切でフレンドリーだったので

あまりアウェイ感はなかったのだが

(てか、服装が黒っぽいコートにズボン、白い筒状のマフラーで髪は隠し顔面だけが出た形で、そもそも現地の人々とほぼ同じ・笑)

 

すっかり寒さと疲れにやられた娘が

「もう、今日は観光するの嫌だ!」

と言い始めたので、「アンネフランクの家」は諦めて宿に帰り、

 

その日は夕方から宿で過ごした。

 
 

宿がかなり新しく、それまでのペンションと違ってホテルタイプだったのもよかった。

 

一人1泊3000円程度だったけれど

東京のシティホテルくらいの設えで、お茶セットもアメニティも十分すぎるくらいあった。

ただし冷蔵庫やミニバーはなかった。

 
 

そこで、これは今までしたことのない贅沢だと気付いた。

 

個人旅行だから

ツアーよりは時間的に余裕があるし、行程もその日次第だけれど

 

どこにも行かない日、というのは今まで経験がなかった。

 

最初は行程が消化できないので残念だったけれど

 
イメージ 2

 

外は雪

おそらく気温は氷点下

 

中心街に出るには少し離れた場所で、トラムも乗り継がなければならない。

 

ましてアンネフランクの家は、並ばなければ入れなかったはず。

 
 

そう考えると、これでいいような気がしてきた。

 

ホテルも今までないような近代的設備だし

 

旅も半ばを過ぎて、ずっとバスタブもなく一泊で移動を重ねていたから

疲れも溜まっていた。

 

この先パリとロンドン、大きい山場を二つも抱えていたので

むしろ、休んだほうがいい。

 
 

そう考えて、テレビをつけ

バスタブに暖かい湯を張った。

 
 

もしかして、これが一番ぜいたくだったのでは?

 

そんな気がしていた。

 
 

いつもいつも観光地を次から次へまわって

今回は子供も成長し、長距離歩けるようになったことに任せて

観光三昧だった。

 
 

でも、なにもしないこと

 

それは一番のぜいたくだ。

 
 

かつて九州で、

1本行ったら2時間来ない電車をホームで待ったが

 

それと同じ贅沢感。

 
 

いや、そういえば30年前、一人旅で

マドリッドかどこか、熱を出してしまって

2時くらいまで出かけられず寝ていたことがある。

 

その時は悪夢も見たりで、楽しむ余裕はなかったけれど

 
 

結局なにもしないのが贅沢という結論(笑)

 

それはつまりどこでもできるから

必ずしも出かけないで、ここでもできる。

 

いつでもどこでもその気になれば。

 

いまここで何もしないのが贅沢 = 瞑想が贅沢

 
 

つまり限定されないから

その時間内に無限を含んでいるということである。

 

無限の豊かさに身を置くから、いろいろなことが開けてくるのだ、という気がする。

 
 

無にして無限。

 
 

現地に出かけるのは

それなりに意味のあることとは思うが

 

出かけてもいいし、出かけなくてもいい。

 
 

ここが、どこでもドア。(笑)

 

当初アムステルダムは行くつもりもなく

というのは、前回行った時、あまり好きじゃないかな~と思ったので。

 

でも子供は行きたがった。

 

で、ケルンからパリに出るつもりを急遽迂回ルートに。

 
 

でも前回の印象が大きく変わり、行ってよかったと思う。

 
 

前回は、街も雑然としていたし、裏庭は野放図で美しくなく

黒人の人にもいい印象を持てなかったのだが

(というのは、コーヒーショップ=麻薬販売所の奥から凝視しているのがほとんど黒人だったから)

 

なんとなく今は黒人やアラブ人にも居場所があるのか、余裕が感じられるし

都会人なのにスレた感じもなく、白人も皆フレンドリーで親切だった。

 

そして街もとてもきれいになっていた。

 
 

さらに泊まったホテル周辺が、どことなく今住んでいる近辺に似ていた。

 

あまりの違和感の無さに、不思議な気分になった。

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やっぱり出かけても出かけなくても同じだったかも?
 

いや、出かけなければ気づけなかったから、これでいいのだ。(笑)