カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

顔はカユくない?

3日ほど前に初めて気づいたのだが

私のいたその室内でさかんに顔に触れているのは
私だけだった。

場所が変わってもやはり
誰もひんぱんに体に触ったり
顔を掻いている人はいない。


誰もが普通に痒かったりムズムズしたり
気になったりしているものと思っていたが
どうもそうではないらしい。


みな一様に行儀よく
手は職務に忠実に働いている。

たま~に頭くらい?くでしょ?と思っても
気配すらない。

じゃ~私は何なの?
ってくらい、私の手は常に自分のどこかに触れている。


心理的にはそのサイン、自己愛とか欲求不満とか、防衛したい表れと言われるが、

おそらくそうなのだろう。

どこか触っていないと不安だし、
何よりむず痒いのだ。


もしくはむず痒い、気がする。

皮膚の表面を何かが這うような感じがする。

つまり他のみなさんには、そういう感覚がないってことですよね。


この感覚があるかと、心療内科のクリニックでは聞かれた。

異常心理に関係して現れるこの感覚に
それを鎮めなければならないという強迫神経症的感覚がプラスされて

始終からだを触ったり掻いたりする行動が現れるということだと思う。

強迫神経症はいろいろな現れ方をするが

よく知られているのは
「手を洗い続けることをやめられない」

この延長上というか、これと類似の行動に
「グルーミングし続ける」
というのがある。

この行動は他種の動物にも見られる。

たとえば鳥やウサギなどもひっきりなしにグルーミングしている。

途中その行動を妨害すると
決まりのルーチンの最初からやろうとする。


だから本能的で原始的な性質とも言われている。


それをなさらない方々はそうした原始的な縛りから開放されているということだ。

つまり文化人ということなのだろう。


たまに自分の頭髪によく触れている若い女性は見かけるが

それでも家に向かう路線バスの中には
この3~4日観察を始めてからは
一人も見つからない。


自分だけが異邦人ということだろうか。


あまり顔を触るので、馴染みの美容部員さんからは
お化粧が取れてしまうとよく言われていた。

ある強迫神経症の本には
体の汚れが死に直結する場合があったため
グルーミングが必須項目であると刷り込まれた種が存在すると書かれていたが

これを書きながらも、私の空いた方の手は
?くところを捜して全身を彷徨い続けている。