葉山で過ごした時から一週間が経ってしまった。
あっという間だった。
帰宅して、そわそわするのだ。
海が、恋しくてたまらない。
まるで恋したようになっているのだ。
都市部にあるどんなものも、あの充足感は埋められない。
それでようやく知るのだ、もう都内に行きたいと思わないという友人の気持ちを。
吉祥寺なんかに夜出かけたくないということの、本当の意味を。
私にとって吉祥寺は、都内で一番とも言えるほどいい場所だから、友人のことばに少なからずハラを立てた。
でもあの満足感を知ったら、もう都内のどこも魅力的に見えない。
今の時期、もう6時には真っ暗になってしまうし、街灯の少ない海辺の町を歩くのは気づまりだ。
私の家でさえ夜出るのは面倒なのだから、彼女の家ならどれだけだろう。
私のいまいる場所だって、夏の過ごしやすさを考えれば昼間に都内に出る気もしないし、魚も都内で食べる気はしない。
都内に出るよりは海に出た方が近いし、
行けばまたすぐ行きたくなる感覚も知っていた。
だから友人の感覚はわかっていると思っていた。
都内で上を目指して頑張る気もしないという友人のことばに頷いていた。
彼女は山手線の内側で育った人で、私は神奈川県で育ったけれど
どこか、上を目指して努力するというのは共通の意識としてあった。
彼女が葉山に移って、近所の人たちが子どもに勉強させて都内の学校に通わせようとしないことを不思議に思っていたという。
地元の人たちは
「どうして? 都内に行かなくたって、こっちになんでもあるじゃない。」
確かに学校だって、そこそこのところはある。
しかしここには、それ以上のものがある。
いま家に戻って、あの一瞬一瞬が愛おしい。
こちらの空を見ながら、
いま海はこんなだろうかと思う。
(ブロ友さんからいただいたシュラフ。助かりました。ありがとうございました。)
むかし電機メーカーにいた頃、製造の人たちが
「風が吹いたら(波に乗るために)休むから」
というのを笑い話だと思って聞いていたが、
あれは当たり前の話だったのだ。
そしてここにいる人たちは、開店時間にも緩く、パン屋さんも開けている日の方が少なく、満足げに生きている。
開いていたらラッキー。