さて、昨日はバンパイアとの対立が、実は大きな愛の表れであると書きましたが、
まあそれは、意識上の気づきであったわけです。
価値観の統合の一形態ではあると思います。
が、それは一時的なよろこびをもたらしましたが、少し経つと
そのよろこびは形をとどめていないというか、本当に統合されたのだろうか?
って感じになっちゃったんですよね。
それは、意識だけのもので、腑にも落ちているんですが、肉体を伴わない悟りみたいなもので、全身で理解しているんじゃないからですよね、たぶん。
先日ある友人のお宅に泊まらせていただき、仮にその方をHさんとしますが
とても楽しい時間でお話しも弾み、「悟り」とか「覚醒」についても心ゆくまで語らうことができました。
その時に、やはりいま私たちはこの世に生きているわけだから、瞑想だけで悟ることはできない、的な話になったんですよね。
「これでいいのだ」も一つの悟りなのですが、
肉体がある以上、何か成し遂げたいことがあって、そのためにいるのも事実なわけです。
つまり肉体は、「これではいけない」とどこか思っているというわけです。
何か「こうでありたい」というものを達成するために生きている。
悟った幸せを、肉体に刻んでこそ意味があるというわけですよね。
身体感覚の伴わない悟りは悟りではないと。
だから意識上で気づいても、忘れてしまったりするわけですよね。
キリスト教で「三位一体」というのがあったと思いますが
父と子と精霊、これが一体にならないと覚醒ではないと。
霊的な部分と肉体と精神、それが統合された状態が覚醒です。
そういうことからすると、昨日の気づきは、肉体は伴わないわけです。
元夫との関係は魂的にはある意味成功でも、肉体レベルでは失敗しているので、
おそらくどこか後悔が残っていると思います。
この後悔があると、成仏できない、つまりたぶん覚醒には至らないと思います。
霊的にはどの状態もある意味成功だと思うんですよね。
神、高次の自分、霊的な存在からすると、計画は完璧ですから。
しかし欠けた部分があるとそこが因となって、果を求めるサイクルとなり、無限に続きますよね。
このカルマの輪から抜け出るには、因を滅することですが
そのためには
1、因を浄化する。
2、カルマを徹底的に味わい尽くす。
3、シャドウと同化する。
このいずれかのステップが必要です。
で、浄化では滅しなかったのですが、それは他のステップ、2か3をする必要があったからだと思います。
2にもトライしたのですが、それでもなかなか終わらず、
どうやらこの元夫との問題は、
私にとっては3のステップが必要だったようで、それが昨日の気づきによって明確化した感じです。
で、とりあえず、シャドウと統合ですが、どうするか。
手始めに、どっぷり元夫の世話になり、なんでもやってもらって、それを屁とも思わない、当然だと思うことも統合の一つです。
ありがたいとも思わない、ってところがミソです。
なんでも許されているわけですから、それでいいわけです。
ところが、自分の内部に、それを許さない何かがあるわけです。
だからこそ自分にはシャドウが必要なわけで。ここがポイントです。
許さない何かは、相当根深いと感じています。
あ、で、もう一つ、シャドウと出会った目的の一つに、
4、自分の神性を見出す
というのがあるわけです。
自分がシャドウに対し、いかに光であるか見出す。
思えば私は、自己評価が低すぎで、それがシャドウを呼んでいる理由でもあるわけです。
だから徹底的に、自分のよさを見出し、自分を大切にするステップが必要です。
もうこの件は、私が自分を大切にしていたら、おそらく起き得なかったことだと思います。
もっとも大切な部分は、ここに尽きると思います。
それが肉体レベルでの自分の望み、今世の目的であると言えます。
この結婚生活がいかに自分の負担になっていたか。
どのくらいの重圧を受け止めていたか。
それを行なっていたのが、自分の愛ゆえで
その無償の愛が、いかに大きかったか。
それを理解し、心から労うことが、このカルマを断ち切るために必要なことと思えます。