カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

物質的満足と心の満足

こんばんは。
昨日の筋肉痛はないみたいだけど、明日出るかも!?
そうだとしたら老化じゃ~老化じゃ~(゚O゚;)/

え~、宗教にもいろいろあるとは思うんですけど、
基本的に神様とかが自分たちの「上」にいて、
自分たちが支配されてるようになってたりしますよね。

だから「お前たちは下じゃ~、こうべを垂れよ」と言われて、
かしづかされ、いろいろ戒められたりするわけですよね。

で、願いをかなえるためには信じなさい、お布施を出しなさい、
戒律に従いなさい、などなど・・

ま、神様に何か叶えてもらおうって考えが、そもそも誤りなのかもしれないけど、
(あ、ついついこういう時、神様って書いちゃうんだけど、
小坊主仏門だよね。でもナゼか仏様って書く気がしない。
仏様は願いを叶えてくれる存在じゃないって、昔から身近な人々に言われてたせいかな・・)
でもそこで神様に対して、人間が無力な存在って思った時点で、
自らを願望から遠ざけてしまうと思うのね。

それでいくら祈っても願っても、叶わないような気がするのね。
自分以外の存在を頼り信じる弱みが、自分を窮屈な枠にはめ、力を失わせてしまう・・
本当は、自分がすべて叶える力を持っているんだよ、たぶん。
いろいろ欠点と思えるようなことも、すべてあることが自分の力となっているはずだ。
そういう風にできているはずだ。

考え方はいろいろあるだろうけどね・・。

和尚は真言密教だから、あの世での幸せじゃなく、一応、現世利益至上主義なのね。
で、まあ、倫理上のどうこういうことは置いといて、お金を、色を、権力をつかもうと。
そういう宗教的立場があってもいいよね。
一般的な真言密教とはまた違うかもしれないけど、そういう解釈もありかなと。
でも、それが揃えば幸せかというと、必ずしもそういうわけではないよね。
心の幸せは、また別でしょ。
実際は、心は感情に彩られているわけじゃないすか。
幸せや満足を覚えるのは心、そして感情。
その辺がどうにかならないと、本当に幸福とは感じられないと思う。

でも和尚の立場は、あくまでお金と色と権力など、目に見えるものなのね。
価値観はいろいろだから、そこがそろわなきゃ幸福じゃないって人もいるよね。
それさえあれば幸福、って人もいるかもしれないしね。
で、それ以外のことはサポートしない。
何が心の平安かってことは言わない。
とりあえず、物質的欲を叶えるための方法は伝授する。
それは普通じゃ考えもつかないゲリラ的・非人道的な方法だったりもすると思う。
まわりの人間の神経を逆撫でするような方法で、確かに利益をあげられることもあるだろう。

でも、そこまで。
それ以外のことを相談したいなら、他に行けってことだ。
衣食住足りて礼節を知るって言葉もあるから、
そこまで満たされて、初めて
「いや、心で満足することが一番大事だ」と思うのかもしれないしね。
そうなったら、もうここにいる必要はない。

でも、たいていの人は、物質的満足と心の満足が切り分けられていないと思う。
だからこの寺院に来ると、混乱すると思う。
和尚の立場ははっきりしてるんだけど、
それをはっきりとは言い表さないからね。