カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

豊さ

「本当の豊かさ」って、なんだろうね。

たまにお遣いで、車の見張り番として、
和尚のポルシェやベンツにのせてもらうことがある。
まあ、確かに、リッパな車。
内装も革張りで、装備もいろいろ、
ポルシェはスピードを出しても乗り心地は悪くない。

でも、だから何?
少なくとも小坊主には、無用の長物。
スピードが出ても、まわりが道を開けてくれても、それだけ。

なんも嬉しくない。

かえって、貧しさを感じてしまうんだ。
「どけどけ~じゃまだじゃまだ~!」
「ひき殺されてーのかバカヤロこの野郎目!」
いつもここから」じゃないけど、そんなことをして自分の強さを確認するのだろうか。
そんなことでしか、強さを確認できないのだろうか。

そんな状況を欲しがらせるのは、他ならぬ「貧しさ」だからだ。

今得ているものが、かつて得られなかった
その時の状況が伺い知れるからだ。

前もこんなこと書いたっけね。
秘書の手にしているヴィトンやシャネル、
ある新人デザイナーの服。毎月100万から300万からそれらに費やされている。
そこまで買い物に走らせるものは一体、ナニ?
そんなふうにして買ったって、全部完璧に揃えられる訳じゃない。

都心の高級マンションに陣取ること?
まあ、確かに便もいいし、きれいだし、
警備も心配することはない、設備も不足はない。
ディスポーザー等、臭いも発することなく、ゴミもいつの間にか処理されていく。
でも防音面や下水管からの臭い、管理人の応対など、不足を数えればキリがないし、
こんなに管理され切った、自然の感覚が希薄な空間で生きて、
心身に影響がないのだろうか。

札ビラで頬を叩き、人をアゴで使うこと?
ワガママを言い散らし、人を意のままにさせること?

感情をなくして、目的の為に邁進できること?
それができる人が、真に優れた人なのか?

愛人を囲うこと?
楽しいこともあるかもしれないけどさ、
結局本妻と同じくらい、面倒は被らなきゃならないからね。
ヘタしたらいいようにむしられるだけ。
まあ、そんな面倒もひっくるめて
翻弄されてみたいのかもしれないけどね。

和尚はある日小坊主に言ったんだ。
「あなたも幸せになるためには
金づるを見つけなさい。金持ちの愛人になることです。
○○(あるホテルの名)は、財界人が愛人を探す場所として有名だから
ヒマがあればうろついていなさい。」
小坊主、○○はかなり嫌いな場所だった。
でも下心もなくはなかったから、行ってみた。
やっぱりすんごく居心地は悪かった。見たところ、そんな素敵な人もいない。
食事も油っこくて、美食に慣れていない小坊主の胃は耐えられなかった。
小坊主は見目麗しいわけでもないし、そううまく話が運ぶわけもない。

だいたい万一うまくいったとして、その金持ちのオッサンと
うまくやっていけるのか?
いや、もちろんね、よくできた社長さんもいらっしゃいますよ。
でもどちらにしろ、そういう人とくっつくには、それ相応の覚悟も必要だろう。
金を搾り取る知恵や技量(なんの?)、根気や執念も不可欠に違いない。

そのナレの果てが和尚と秘書だとしたら・・
努力した結果掴むものが、そんなものだとしたら・・

ばっかばかしい!!

本当の豊さとは、今いる状況が、いつでも「可」と捉えられること。
今の状況が「いい状態」でなければならない、のではなくて、
「良くなくてもどちらでもいい」つまり、とらわれずにいられること。
それが自由だ。

和尚は昔、「人生の目的は、自由になること」と言ってくれた。

しかし和尚が見せてくれたものは、「不自由になる材料」だった。
あらゆる不幸の材料だった。

そのおかげか、かえって
いまいる自分の状況が、かけがえのないものに思えてきた。

人をモノと思い、損得勘定のみで扱う態度から、
かえって人の大切さ、心で結び合うことの重要さを知ることができた。

寺を最初に訪れた時に持っていた願望はどんどん縮小し、身の丈に近づいた。

車など、トヨタで充分じゃありませんか。
動けばいいじゃないですか。

家だって公団住宅で(いまURか)
充分じゃないですか。

高いレストランの食事を週一で取れる体はありません。
月一でも充分すぎやしませんか。

惣菜が買えなくて
時間を使って手づくりするのは
この上ない贅沢じゃないですか?
野草をつみ食卓を飾るのは、この上ない彩りです。

家族が、多少不具合を抱えながらも
寄り添って暮らせるのは、この上ない暖かさなのです。

小坊主のしていることは、やっかみでしょうか?
諦め? ビンボ臭い? まあ、そう見えても、仕方ないかもしれません。

でも、このような世界を
それも間近で見なければ、小坊主はこうは思えませんでした。

その仕組みに、何か人知を超えた配慮を感じるのです。