カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

海辺へのお誘い

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母親と、海に向かった。

母とは、決して和解することがないと諦めていた。

この家にいて、「話せばわかる」はウソで、
決して理解し合うことのない関係が世の中には存在するのを知った。

同じ日本人で、話も通じない人がいるのを知った。

始めは、愛だった。

お互いに愛を示そうとも、
それがいつの間にか相手を裁き傷つける刃に裏返り、
結局、お互いを憎んでいることを確認するだけになる。

母親の口から、「そうね」と肯定する言葉を聞いたことがない。

わたしがどんなに彼女と楽しい時を過ごそうと決心しても
そのために細かく心を砕いて設定しても
それがたまたま、まったくの第三者からの無邪気な横やりで中断される。

誰にも罪はないのはわかっている。

でも、私としてはもくろみが外れたので、不機嫌になる。
せっかくの心づくしが、台無しになってしまった。
それは、ただ邪魔が入ったことを残念がっているだけなのだ。

それが母には許せない。
私が不機嫌になったり怒ったりしているのは、どんな理由でも許せないのだ。

それは、母として子の不機嫌な結果になることを避けたいという
無意識の、本能的な反応かもしれない。

母は、いつものようになじり始める。

わたしたちは、いつまでたっても、手をつなげない。
過去のことに少しでも触れれば、その場に緊張が走るのはわかっている。

だから、その日も何も言わず、ただ海辺のレストランで楽しみ、
海の空気を楽しむつもりだった。

海が、心をほぐしたのだろうか。
どちらともなく、過去の話をし始めた。

お互いに、どうしようもないことだったのはわかっているのだ。
それでも、許せなかった。
その気持ちが、素直な言葉になって表れた。

お互いの無念さとゆがんでしまった不器用な愛情が少しずつ形を見せ始め、
自分とこの人が古くからの戦友であるような、そんな感覚と
奇妙な一体感を覚えていた。

この確執のためにこそ自分は生まれてきて、今ここにいる。

初めて母親を、許す気になった。

決して訪れることのないと思っていた和解。
それがいまここにあり、この人との永遠のつながりを感じさせている。

この同じ海辺で何年か前、ある男性とやはり奇妙な繋がりを感じた。
そのつながりに、永遠を感じた。

時は瞬間でありながら、永遠である。
実は、時間というものはない。
「刹那」というコトバが浮かんだ。

その人はもう近くにいないが、彼がどこでも元気でいてくれれば、いいと思っている。
会いたくはないが、その人がいると思えば、生きていける。

そんなつながりを感じることを続けながら、自分は生きて
旅を続けていくのだと思った。

そんな海辺に、行ってみたくはないですか?