カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

知らぬ間の準備

ちょっと熱出して、臥せっておりました。

寝こむ少し前から、白隠禅師の「内観の秘法」なるものに
トライしております。

その方法については、著書「夜船閑話」内で、

「この秘法を実習しようとするときには、すべからく人間世界の思いわずらいや工夫をすて、小智才覚の一切を放下し、かんがえること、見ること、聞くこと、話すこと、感ずること、一切の雑念など心の外部への活動を追いはらってしまい、からっぽになってこの『内観の秘法』をおこない、深く眠りこみ、そのあとで、肉体の眼とともに心の目をさますというようでなければならない。すなわち、床に入り、眠りに入るまえに、両足を長く踏みそろえ、一身の元気を臍のまわりから気海丹田、腰、股や両脚から足のうらに下し充たして、つぎのように何回も繰りかえし繰りかえし内観するのである。

1、 わがこの気海丹田腰脚足心、まさに是れわが本来の面目、面目なんの鼻孔かある。
2、 わがこの気海丹田、まさに是れわが本分の家郷、家郷なんの消息かある。
3、 わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。
4、 わがこの気海丹田、まさに是れわが己身の弥陀、弥陀なんの法をか説く。

このようになんどもなんども打ちかえし、繰りかえし、想像し、観念し、想像力を集中するがよい。・・効果がつもってあらわれてきたならば、一身の元気はいつしか、腰や脚部や足のうらに充ち満ちて下腹部の丹田ヒョウタンのように、かたくなってくるのである。」
白隠禅師―健康法と逸話 日本教文社 直木公彦)

白隠禅師という人は、修行が過ぎて、心気が頭に上って臓器不全になったのね。
(これを禅病というらしい。)
で、死をまつばかりのところで、山中にすむ白幽禅師という仙人のような方に教えを請い、
「心気とは下半身にあってはじめて、身心が本来持つ機能をまっとうさせることができるのである」
と諭され、上の法を伝授されたそうである。

ま、1から4をきっちり唱えなくても、「己身の浄土、唯心の弥陀」と繰りかえしてもよいらしく、
その辺は臨機応変で、とにかく下半身に意識を持っていくことらしいのね。

かのんもずっと頭使い過ぎてきたから、ある時から体がガタッと調子悪くなったのね。

現代人はおおむねコンピュータとか頭や意識の使いすぎが多いから、
上半身に気が上りやすいと思うよ。それでウツ病とかが多いんだと思う。
白隠禅師は1685年から1768年まで生きた江戸前期の人だけど、
その思想は、今だからこそ生かすことができると思うよ。

かのんも10年ちょい前からウツ病の治療で腹式呼吸自律訓練法を3年やって、
そのあとピラティスみたいな胸郭を拡げる呼吸法を3年、
それから由美かおるもやってた西野式呼吸法を3年やったのね。

趣味みたいなもんかな?
父親に、小さい時から「呼吸法と般若心経と禅を学べ!」って
叩き込まれてたせいもあるかもしれないけど。

呼吸の仕方でカラオケがうまくなったりヘタになったりしてたよ。
腹式だと、うまくなるのね。
あと、お経を読んでも上手になるよ。般若心経を週一のペースで読んでも充分だね。

この内観の秘法は、まだ始めて間もないから、そんな顕著な結果は出てないけど、
たくさん食べなくても満足するようになるみたい、今のところ。
カゼのせいで食欲なかったのかもしれないけど・・?

3年前になにげなく書泉グランデで買って、ほっぽりにしといた本だけど、
結構いま、気持ちにぴったり来てるかな。
必要なものは、いつの間にか用意されてるんだよね。
必ずジャストタイムで手に入るんだよ、たぶん。

心配なんか、いらないよね。