「和尚」が今日も、お客さんのしてきた相談事についてぼやいてる。
お客さんは看護婦だが、副業としてホテトル嬢も始めたのだそうだ。
ところがそのホテトル業では、リピーターがつかないということで、
今回の相談となった。聞けば、彼女は職についてかなり大きい誤解をしていて、
お金をもらって楽しませてもらおうとしていたらしい。
逆だよね、お金をもらってるなら楽しませてあげなきゃ。
相談ごとは秘密だが、「和尚」も鬱憤がたまるんだね。
だってお金をもらって鬱憤を引きうけているわけだからね。
お金をもらうとは、なにかを代償として引き受けるということだ。
同様にして、「和尚」から多額のお金をもらっている「秘書」は
多くの「鬱憤」を請負ってる。
お金をあまりもらっていない「小坊主」は、ある意味幸せなのかもしれない。
そう確信したのは、先日、「専務」の別宅の人がとんでもない事故に見舞われたからだ。
その人はまあ心の病気でもあって、普段行動のコントロールがうまくできないような状況だから、
事故に遭うのも、なくはないことだけど、
たぶん「専務」の「鬱憤」を請負ってしまっているんだと思う。
「専務」は話が上手で、憂さをうまく人にパスできる人だからね。
「専務」の言葉は聞こえがよいようだけれど、彼はなかなかしたたかに憂さを外に出している。
一方、本宅は特に不都合は抱えていないんだよね。
いつも本宅はどうでもいいように話しているけれど、実はそうして本宅を守っているように
見えなくもない。
気の毒なのは別宅だよね。
ひょっとしたら自分のうがちすぎかも知れない。
でも、「専務」の行動を見ていると、
「表層」「下心あるいは本音」さらに「深層の意図」とが
別々にうかがえて来る様なんだ。
「深層の意図」は、普段自分たちがほとんど意識しないものだけど、
善悪を超えて、なんらかの確かな方向性を持って、人を動かしている。
それは自分の中にもあるのをたまに感じる。
自分はこの状況で「表面」では日和見的に行動してる。そして裏で怒ったり恨んだりしてる。
でも自分のどこかが、それをおもしろいと思ってのんびり見てるんだ。
それは一体なんなのだろう。
そして、表面的に見える状態が一見良いようであっても、実際はどうなのかわからない。
別の面からみれば悪いかもしれないし、流れとしてどうなのか、短いスパンではどうと言えないこともある。
一体自分がどの方向に流れているのか、自分が本当はどういう状態なのか、
もっと遠目から見られればいいのにと思う。そして何を目指そうとしてるのか、知りたい。
でも、それができたら、つまらないんだろうな。