カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

「のだめ」へのオマージュ

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この年が明けてからの1週間、
「のだめ」三昧でございました。

マンガに、TV。

美大にいたころが思い出されて、ちょっと切なくなるよね。

4日5日の「ヨーロッパ版」は、
のだめが芸術の袋小路に入っちゃって、そこから抜け出るまでのお話ね。

アカデミズム、つまり理論や技法にとらわれちゃうと、
個人の芸術は壊れちゃう。
(いや、本当は壊れるほどヤワなものじゃないんだけどね。)

本来は大学に入れば、イヤでもそういうものにさらされて
自分の方向性に懐疑的になったり、道を見失ったりするんじゃないかと
私は思うのだけど、
「のだめ」がそれでも大学内で自分のやり方を貫き通せたのは
ある意味、奇跡だよね。
理解ある友達や、先生がいたから。

私は学内で、アカデミズムを学ぶのに必死で、自分の道は完全に
忘れきっていた。
先生が、「模範的過ぎるから、キミはどう自分の味を見つけていくかだ」
と言った。

先生は問題点は指摘してくれるけど、
抜け道を見つける手伝いはしてくれない。
それは自分でないと探せないと思うし、自分で抜けて行くしかない。

理系の学科とかだと、なにが間違いか明確だから、抜けるヒントをくれて、
それが助けとなって抜け出ることもできる。

芸術系は人生と同じで、それが他の学科と違うところだと思う。
(いや、人生では、問題点すらも指摘してはもらえないこともあるが)


結局は、「楽しい」や「好き」が
ヒントになるんだよね。

「のだめ」は、そうして抜けていった。

他の価値観にとらわれてしまうと、
モチーフを目の前にしても、一筆も下ろすことができなかった。

でも、「のだめ」でいいんだね。

わたしはもっとダメで、
銀座の画廊でもケチョンケチョン、「これは絵ではない」とまで
言われる始末。
誰にも評価されることはないけど、
それでも、これでいいのだと思う。

やっぱりどこか諦めきれてないんだけど、
自分の道を、歩いていくしかないよね。