カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

心のこり

なんとなく、ふと思ったのであるが、
非武装中立
ってのはどうだろう。

ま、ほとんど一般にも支持は得られそうもないし、
これが国会で認可されるわけ、ないだろうけどね。

でも、これを宣言したら、案外他国家から尊敬されるかも。
ほとんどの国からは呆れられそうではあるが。

でも、外聞などどうでもいいのである。
これができたら理想だけどね。
守ろうと思うから敵ができると思うのだ。

そうわかっていても、なかなか投げ出すことはむずかしいし、
自分もそう生きられてないけどね。


ところで、もう2008年も終わろうとしている。

思えば、今年は離別が多かった。

それも、自分とかなり親しかった人、
あるいは、いつも時間を共にしていたわけではないが、
自分にとって大きい存在だった人々と。

まあ、自分の不徳の致すところではあるのだが。

自分からでなく、ほとんどふられる形なので
痛手は大きい。
潮時だったとしても、一緒にいることについて設定にムリがあったとしても、
やっぱりヘコみます。

そのうちの一人は、小学校のクラスメートだった。

彼女とは、小学校を出てからは、会うことはほとんどなかった。

小学校の5、6年次、彼女はいじめられていた。

私も彼女をいじめたことがあるし、他の皆と結託していじめたこともあった。

でも、どこか彼女に憧れていた部分もある。
だから、たまに一緒に帰ったし、休日に2人で遊びに行ったこともあった。

彼女は少々風変わりで、場の空気が読めないところがあった。

自分のクラスメートの殆どは、他にかなり気を遣い、とっびなマネをするものはあまりいなかった。たとえとっぴに見えても、そこにはなんらかの計算があることが多かった。

しかし彼女は、そうした雰囲気をあまり気にせず、かなり個性的に振る舞っていた。
彼女は、他のクラスメートとやや毛色が違っていたような気がするが、
その分彼女は我々の知らない世界を知っていたし、魅力もあった。

彼女は比較的おおらかに育てられ、他の人にとってはタブーと躾られていた部分を
気にすることなく行っていた。
そうした部分が、ある場面では自分のカンに障った。
自分が禁じられていることを隣りで堂々とされたら、その人に対して怒りを感じるのは
そう不自然なことではないと思う。

で、今年、小規模だがクラス会的な会合があった。
企画したのは、ほかならぬ私である。
そのクラスにいた親しい友人が、外国から一時帰国することになったのだ。

急だったので、一部の住所がわかっている人にしか連絡できなかったが、
知っている人がその知っている人にリレー式に伝えたので、
思いも寄らない面々が集まり、意外に大人数になった。

その中に、先のいじめられていた彼女もいた。

実は私は人づてに聞いた彼女の住所に手紙を書いて知らせようとしたのだが、
不手際で、返送されてしまっていたのだ。

しかし別の人から知らされて、彼女は来ていた。

その席で、一人一人近況報告をすることにした。

そして彼女の番になった時、当時いじめられていたことを話し始めたのだ。

私は彼女にそうひどくダメージを与えた意識がなかったので、
屈託なく彼女が来てくれると、なぜか思い込んでいた。

しかし、彼女には相当なトラウマだったのだ。
もっと彼女をひどくいじめていた人たちがいたのも知っていたし、
彼女が傷ついて泣いていたことも知っていたが、彼女にはそう深く残っていないように思っていた。
自分が他の人にいじめられていたことは、ひどくいやな記憶として残っているのに。

また、彼女をひどくいじめていた人は、私のこともいじめていたし、
ほかの人のこともいじめていた。

そうしたいじめ合いやケンカのようなものは至るところにあったし、
クラス全体としてみれば、やはり先の彼女が一番いじめられていたとは思うが、
だれもがそうした関係を抱えていたと思うし、小学生の力のぶつかり合いとしては、
取りたててひどいことという意識はなかった。

今のいじめで問題になるような陰湿さは、私が見る限りはなかった。
しかし彼女の両親はすぐに学校に出てきて、クラスの問題になり、児童は糾弾された。
子どものケンカに親が出てきたら負け、という暗黙の了解が
当時はあったし、私もその時、彼女とその両親はやりすぎだと思った。

そしてクラス会で終始隣りにいた私は、彼女の当時の状況をあらためて知ることになった。
私は彼女をいじめていたことを認め、そういう事件があったことも認めた。
クラス会後も、彼女はその話をするために私にメールをくれた。
話を聞くうち、彼女に向けられたクラスメートの鬱憤は、各人の当時家庭や学校で与えられたプレッシャーのしわ寄せということもおぼろ気に見えてきた。

私のいた学校は、電車やバスで通学する子どもがほとんどだった。
また、各人よく躾され、親から管理されていたし、試験に受からないと上の附属の学校に行けないが、そうしたプレッシャーがもれなくかかっていた気がする。
子どもにはかなりの重圧だったと思うし、私自身も慢性の腹痛や貧血になっていた。

先の彼女は、そうしたクラスメートの中でこれ以上いられないということもあったろうし、
学校の雰囲気に合わないことなどから、他の私立中学に進んだ。

さて、後日、そのクラスの一部の女子で集まる機会があった。
その中に、彼女を特にいじめていた面々もいた。
反応と言えば、一様に困惑というか、怒り露わであった。

彼女たちにも、やはりそれなりの言い分はあった。
特にいじめたメンバーの一人は、当時の人間関係に関する記憶力がずば抜けていて、
人間観察力も相当なものだった。
見方は独特と言え、そういう結論を導くに至った情報収集力、分析力・判断力は
充分説得的だった。

かたやいじめられていた彼女は、ほとんどクラスメートのことを覚えていなかった。
トラウマがそうさせた部分もあるかもしれないが、
多くの部分において、彼女は他のメンバーと違う部分を見、違う感じ方をして、覚えていた。

いじめが悪いと言っても、やはり理由はあるのだ。
両方の言い分がわかり、両方が正しいと思える私は、
「どちらにもいい顔するって、一番嫌われるのよね。」
と叩かれた。
いい顔をしたつもりはなく、ただどちらにも共感できて、納得してしまうのだ。
どちらが悪いなどとは単純に言えない。
どちらも良くて、どちらも悪い。つまりそのどちらでもない。

で、結局、私はやはりいじめた側なのだろう。
私は、先の彼女からもらったメールに、すべて正直に
自分のいじめた理由と彼女に惹かれた理由について書き返信した。
そして、彼女からのメールはぷっつり途絶えた。

彼女がどうしても受け入れられないことを、私は書いたのだろう。
何も言ってこないのでどの部分だったかわからないが、
結局彼女と仲良くなれなかったという事実だけ、厳然と残った。

辛気臭い駄文をだらだら綴っていたら、年が明けてしまいました。
申し訳ございませんm(__)m。

皆様、よいお年を!