カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

自分にとっての真実

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あるブロガーさんが書いていたことだけど、

「実体験に基づく経験とそこで自身が何を考え、気づいたか。
人を変えることが出来るのは、どんなことであれこの方法しかないのです。」

(『人生、横道にそれし者』さんのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yokomitinisoresimono/6730786.html
より、そのまま引用させていただきました。)

なるほど、その通りだと思う。


先日、鎌倉をぶらり。
で、なんとなく、陶器の店に入った。

入り口に萩焼があったし、おちゃわんを探していたし、ってなわけで。

そしたら、その中にいた店のおじさんが、『蘊蓄ん』だった。
備前焼だか何かの。
新鋭作家の作品を厳しく選別して、売っているそうだ。
だから、それほど高くない上に(いや、それでも結構するけど)、
間違いはないらしい。

等々、説明を延々と聞かされた。

まあ、それもいいでしょう。

しかし、私は間違いたくないんじゃない。
自分の好きなものを選びたいのだ。

それが失敗だとしても構わない。
使ってみて、「あ、」と、感じればいいだけのことである。

どうなっていないと備前としては失格とか、
お墨付きがあれば、安心かもしれない。
でも、
蘊蓄をあれこれ並べないと不安なのは、美意識に自信がないからじゃないか。

理論武装」をする人々を、私は大勢見て来た。
しかし論理は真理と違い、いくらでも変えられる。
真理と言われていることだって、変わるかもしれない。
正しいことは、人の数だけある。

私は、正しいことが知りたいんじゃない、自分にとっての真実が知りたいだけだ。
失敗したくないんじゃない。ただ、経験したいのだ。そして、自分で納得したい。
他から聞いても、自分にとっては正しくない。


まあ、私も、その蘊蓄おじさんと変わらないかもしれませんけどね。
かつては本当に同じだった。

絵とかだと、他からいくらでも否定されちゃう要素はあるからね。
ボロクソに言われるのがくやしくて、理屈の一つも並べたくなるのである。
そして頑なになるのである。
おじさんの気持ちも、わからなくはない。

まあ、備前焼は工芸で、芸術品とはちがうけどね。


写真は、海辺の定食屋で。
このお店は、昼11時から2時までしかやっていません。
サカナがなくなったら終わり。

作家の村上春樹が気に入っている店らしい。
ネットにも、あまり出ていない。

この日も台風の影響で波が高く、ネタがないんじゃないかと危ぶまれたけど
開いてました。

私たちの前に、お客が一組。
私たちが黒カサゴを頼んだら、おかみさんがホワイトボードのその文字を消した。

前のお客は黒カサゴではなかったから、2匹しかなかったみたいだ。

ここに通って4、5年になるだろうか。
カサゴがメニューに上がったのは初めてだった。

甘さは強いけれど、すっきりとしている。
身が新しく、ぷりぷりでした。

付け合せのシラスの酢のものもめちゃめちゃウマい。
もうじき、シラスは終わりだね。