カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

地震のこと、ダラダラ書きます

う~んいたたたた・・
全身痛いです。

地震、大変でしたね。
すごく揺れました。

その時は文京区の団子坂にいて
お寺の前を通りかかった時だった。

金網のところからざわざわするような音がしていたので
何かのノイズなのか、強風のためなのかと思った。

地震か?」
と思うと、その揺れがとたんに大きくなり、電線が振れ始めた。

さらに揺れは大きくなり、目まいのようでとても歩けなくなった。
通りの家や店舗から、人が出て来る。

みんな不安そうに辺りを見まわしているが、揺れは収まらない。

こはちょうど山の手と下町の境目で
人々は気さくな下町人のようなので、声を互いに掛け合っている。

友人も下町の人間なので、そのうちの一人に声をかけると
震源は東北のようだった。

もしかして、いままでで一番大きい揺れかもしれない。

少し揺れは収まり、通りにある一軒「あめぴょん」という
アメ細工の店に入るが、揺れですっかりアドレナリンが出てしまったのを感じる。

以前起震車で震度6を経験した時、分泌されたアドレナリンのため
しばらくハイな状態が続いていた。

店主はせっせとハサミを動かしながら客の注文に応じているが
自分はどこかうわの空で、商品を物色しながらも気持ちが定まらない。

その間もゆるい揺れは続いている。
道に出ても、あちこちが揺れていて
目まいが続くようである。

銭湯の前で人々が上方を見ながら何か話しているが
屋根のかわらが崩れている。(気のせいかエントツもない?)


他の店に入っていると、また大きい余震が来て
ディスプレイの商品が上から落ちてくる。

谷中の寺の前を通ると
いくつが墓石が倒れていた。

歩いていると横でカラカラ、という音がして米粒のようなものが額に当たった。
見ると建物の上部がわずかに崩れてコンクリがばらばらと落ちてくる。

急いで道の中央に移動した。

谷中ぎんざでは人々が電気店の前に群がり、テレビを見ている。
なんとなく昭和に帰った雰囲気である。

震源宮城県で、相当に大きい地震であることがわかる。

どこかで何かが落ちて、何人か救助活動を受けている様が映し出されているが
千代田区とあるだけで、どこかわからなかった。

どうやら大変なことになっている。

もちろん電車も止まっている。
いつ復旧するかわからないが、恐らく4~5時間はムリだろうから
少し歩いて少しでも家との距離を縮めながら復旧を待つことにする。

まずはちょっと落ちつくために茶でも飲む。

その間も揺れは何度か来たので
「いまだかつてない事態」が来たことをおぼろげに悟る。

それでもまだ、その時私は楽天的であった。

友人と相談し、とりあえず秋葉原を目指して歩くことにする。

不忍通りを南下すると、多くの人々が交通機関を締め出されて歩いていた。

バスは動いているが、スシ詰め状態で
バス停の列もハンパない。

時折り救急車や消防車が、おそらくエレベーターに閉じ込められた人のために
通りを急いでいく。

携帯はアンテナが立っていなくて
メールも通話も不可。
都心ではほとんどこの状態が続いた。

秋葉原に来ると道が土日のように混んでいて満員電車の如く。
人を突き飛ばしたりしてマナーも都内で最悪。

店はあちこち閉まっていて
破損を防ぐためにテレビなど商品は梱包され始めている。

もしかしたらATMも止まっているかもしれないが
預金の引き出しはしておいた方がいいと思われた。

友人は千葉なのでそこで別れて錦糸町方面に向かう。
その人は職場で年に1度は自宅から職場まで歩く日があったので
経路には心配がないと思われた。

私は、とりあえず五反田まで出て、バスで川崎に向かおうと考えた。

幸いATMが生きていて
神田で、預金を引き出す。

コンビニで飲み物を買っておく。
まだこの時点で、商品は充分にあった。

都心はどこも馴染みのある道だったので
なんとか迷わず進んでいけた。

三越の前を通ると、もう閉まっている。

それで、トイレは見つけ次第なるべく行っておこうと思った。

閉めている店がほとんどだが、
中にはトイレや休憩のために開放してくれているビルがいくつかある。

そんなビルも、ほとんどのテナントを閉めている。
飲食店も、ガス等が止まっているため営業できない。

そういうビルのことを、私は決して忘れまい。

その日は寒く、風も強かった。
私はうっかり、やや薄めのコートで出てしまっていた。

がんがん歩いたので脂肪が燃えて芯から冷えることはなさそうだったが
それでも皮膚に寒さは届いた。

そんな中でわずかでも風を防げることはありがたかった。

そんなビルの一つ、『コレド日本橋』の『メゾンカイザー』でパンを買う。
ゆっくり食事をしている時間がないので、歩きながら食べるためだった。
家で待っている子どもの分を考え、これから進む道のりをつい忘れてたくさん買い、
その重さにしまったと思った。

ここでも大勢の帰宅難民がとどまって食事や暖をとり、連絡を取ろうとしていた。(続きます)