カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

無事でよかった。

仙台の友の無事がわかってよかったです。
本当によかったです。

でも仙台駅はぐにゃぐにゃになってしまったね。
 
須賀川の親戚の安否はわからず
TVの映像ではちゃんと建っている家が映っていなかったけれど
きっと大丈夫だと思う。


で、続きです。(2話目)

まだ自分は、その日の内はムリでも、夜中ぐらいには家に戻れるかと思っていた。
日本橋から箱根駅伝の選手のように、15号線をそのまま行けばいいと考えていたからだ。

しかし考えることは同じで、15号線には多くの人が集まり
満員電車のように混んでいた。

体が密着するほどではないが、朝の駅の構内のようで
ぞろぞろとダンゴになって移動する感じだった。

大通りを歩き続けるのはムリだと考え、平行した裏道に入った。

が、ここでかなり逸れて行ってしまい、東京証券取引所の裏から箱崎に入り
気がつくと町名は新川になっていた。

暗い湊橋を渡ったときである。

川の流れる向きが逆になっている。

後ろから、「普段向こうに流れているだろう」と話す声が聞こえる。

明らかに津波である。

あまり海寄りを渡るのは危険だと思い、混んでいても15号線に戻ることにする。

しかし暗くなっていて、地図の文字が読めない。
幸い地図は持ち歩いていたが、老眼鏡を持って来なかった(笑)。

コンビニの明かりを頼りに、地図を読む。

こうなるとコンビニはオアシスである。

他の意味でもオアシスだった。

だいぶ時間をロスしてしまった。
迷いながら、もしかしたらこのまま死んでしまうかも・・と気弱になる(笑)。

そういえばここ3日、大切な人たちに会い続けていた。

死亡フラグ・・じゃないよね。(笑)


気がつくと八丁堀の駅が見えた。

もと職場の辺りである。

知っている道と道をつないで、なんとか次へ。

いままで歩いてきた道の集大成を行う感じである。

よく来たカレー屋の前。
ゆっくり眺めている余裕はないが、知っていることに励まされる。

帰宅によく使った新富橋を抜けて、やっとにぎやかな通り、昭和通りへ。

家へ連絡をしたいけれど、携帯は繋がらず、やはり公衆電話を使うべきかと思うが
長蛇の列である。
公衆電話は繋がるみたいだね。

でも待つのに時間を使いたくないし・・

名前はわすれたがどこかホテルに入るも
やはり電話の前は長い列。
トイレだけ借りる。

ここまでは、知った道。


が、この先、新橋からが問題だった。

本当は新橋駅を抜けて15号線を行きたかった。

が、方向がどうしてもわからなくなってしまい。海岸通りに入ってしまった。

都心環状線の下で、風景がとてもつまらない。
地図のページがどんどん若くなるのが励みである。

右手にライトアップされた東京タワーが見える。

後ろの人々が、当時あれがものすごい揺れだったと話している。
「あれを見られた人はラッキーだぜ」
とな。

そうかな~??

このまままっすぐ行くとヤバそうだぞ、というところで
右手の汐留ビルに入り、トイレ休憩と食事を取る。
寒さが堪えてきていたので、助かる。

辺りは同じような状況の人々。

携帯を見ると、メールが入っている。

地震から約5時間、弟からメールが入っていて、無事がわかる。
2時間遅れの受信だった。

とりあえず安心。

でも、なんで子どもからは連絡がないんだろう。

窓の外、新幹線が見える。

新幹線が普通に走ってるのは、奇妙な感じだった。

携帯の電源が心配でコンビニに入るが
時すでに遅し、一つも残っていない。
飲み物・食べ物も品薄になってきている。

みんな、目端が利くなぁ。


少し体力が回復して西へ向かうと、浜松町駅も大門駅も
シャッターがしまっている。

駅って、シャッターが閉まるんだね・・(汗)

帰れないことにハラを決めたオヤジたちが
呑み屋でしばし現状から目を逸らしている(笑)。

そういえば、酒屋の前はどこも酒瓶が割れたようで
すごくイイ匂いになっていた。

水道管が割れて水が噴出しているところや
ビルのエントランスのガラスに大きなヒビが入ったところもあった。

お墓参りの時に通る金杉橋をぬけて、やっと15号に入る。

ここからは混んでいても品川までそのまま歩き続けることにする。

途中道を聞かれて答えるが、人の役に立てて少しうれしかったりする。

三田駅の前で、カバンの持ち手が切れる。

不吉・・(笑)

子どもが心配になる。

この状況でヒールだと、本当にツラいね。
私は幸い平らな靴だが、それでも足が痛いのに。
会社用のナースシューズみたいなのをはいて歩く人もいる。

沿道で、無料で水や地図を配っている会社の人たちがいる。
自分は帰らないで、本当に偉いと思う。


そして9時前、品川駅に着く。

大勢の人でごった返している。

観光客とおぼしき西洋人が混乱ぶりをカメラに収めようとしているのを
ここかしこで見た。

余裕・・なのね。

駅前のビル『ウィング高輪』に入り、
デパートにも閉店時間というものがあることを思い出させられる。

ここで防寒用に長Tシャツを買い、おそらく最後のトイレ休憩に入る。
夫と子どもからのメールも来ていて、一安心する。

さすがにこの時間、今晩中に家につくのはムリかと思い始める。

でも1枚多く着たので、寒さがやわらいだ。
バッグもお店で紙バッグをもらったので、抱えて歩かなくてよくなった。

初めて見る、京急品川駅の真っ暗な構内。
それであきらめがついた。

電車は、もうない。

それまでは、もしかしたら乗れるかもと淡く期待をしていた。

御殿山を登る途中で試しに家に電話したら、子どもとつながった。
子どももウサギも無事で、家も特に壊れたものはなく、
ただ貯金箱だけが落ちてきて割れたらしい。

よかった。