カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

地震前・地震後

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原発は、一進一退といったところだろうか。

でも、決死の覚悟で働いている職員の方々には頭が下がる。


東京の水も危なくなったり
放射能も新宿や千葉より横須賀が高くなっていたりして、
じわじわ来てはいるんだな~と思う。

でも、「洗濯物を外に干してる?」と聞かれれば
そこまで気にはしていないし・・
気にしていても仕方ないとも思う。

もう、仕方ないですよ。

だって、どこにも、他に行くところはない。


マタイは早々に日本を出た。

ま、それは当たり前かもと思うが
それが日本人である我々との違いだ。

どこにも、逃げるところはない。

それが、日本人ということだと思うのだ。

縁あって、東京に生まれたのだもの。
その事実から逃げないで行きたいと思う。

水だって飲むし、気に入った飲食店には行き続ける。

神奈川にいるからまだ気楽にこう言えるのかもしれないけど。
洗濯物は横浜や横須賀のほうがどっちかと言えばヤバい。
拡散の仕方は同心円上で均一ではないのだから。


しかし漫画「ヘタリア」にも描かれていたけれど
やはりイタリア人の撤退は驚くほど迅速である。
そのあたりは抜かりがない(笑)。



さて、先日、地震後初めてヨガ教室に行った。

普段の先生は体調を乱されて、いつか書いた非常勤の先生が代行することになったが、
この先生がめちゃめちゃ楽しい方で、私はすごく楽しみにしていた。


この日生徒は常連のKさんと、私の2人だけ。

先生は「おはよウナギ」の声マネが上手かった(笑)。

そこで先生からうかがったが、ちょうど地震後最初の一週間維持した緊張が解け
もう1週間経って、体調を崩す方が多く出始めているということだった。


確かに私も、地震で出たアドレナリンが1週間身を持たせていたが
それが引いて、涙もろくなったり
少し精神的にヤワな部分が出てきたと感じていたところだった。

明らかに、ウツの前兆だ。

ヨガをやっている人には、自分の体調を把握している向きがあるので、
わりと大丈夫らしいのだが、
やはり全般的にそういった地震後の傾向はあるようだ。


そして、地震前と地震後では
同じ本や映画などへの感じ方が違ってきたとのことだった。

私は地震後本も読んでいないし、映画も見ていないが、
それもわかる気がする。

なんとなく、少し、死に近い位置からものを見始めた気はする。

人の優しさが身に沁みるし、
モノがなくても、ある有り難味が感じられるし、
なんとなく、老後とか、先の心配がなくなった気がする。

心配する先なんかないかもしれないし、
心配しても仕方がない。

それは前からだって、頭ではわかっていたことだけれど
いまはなんとなくもう少しリアルな感覚で捉えられる。

それに、今までは人を当てにしたり信じたりする気持ちにならなかったけれど、
人って捨てたもんじゃないって感じられたからだと思う。


自分のどこかが、「大丈夫」って言っている。

私はいままで自信を求めて空回りしてきたけれど

かえって本当の(肉体の)危機的状況になって
自信ってものが湧いてきたからビックリした。

地震が、自信を呼んだ(なんちて)。


スキルを積み上げていけば自信が生まれる、ってのはウソだと思う。

そんなものはいくら積み上げても、かえって不安のモトとなるだけである。

それは、積み上げようとする理由(モトとなる意識)が、「不安」だからだ。


なんにもないほうが、人は強いのだ。

地位や権力、財産もないほうがいいのだ。

守るものがあれば、弱くなる。


なにもない場合でも拠り所は必要だが
人との繋がりに求めるか、
それ以外の部分に求めるかは人によると思う。

それ以外の部分で主なものとしては
音楽などの芸術系や、宗教など・・だろうか。

仕事・趣味・・という人もいるだろうが
それらはひっくるめて自分の心に拠り所を置いていると、
ここでは大雑把に解釈する(大雑把過ぎ?)。


また、宗教とまで大袈裟にならなくとも
おばあちゃんに教えられた倫理観などもそうだと思う。

日本人は長いことそういった倫理観や、コミュニティの中で育まれ守られて
アイデンティティを保って来た。

一方欧米人は個が強く、人との連帯が比較的薄いので
宗教色や芸術色が濃いのだと思う。
欧米のニュースを見ると、未だに宗教が強い力を持っていて驚かされる。


いま、東北の地域的連帯感が危機にさらされている。
それでもなお、人々の支えとなると自覚し
頑張っているコミュニティもあるが、

それまでのツナギとなってくれるのは、音楽や映画という芸術分野だろう。

歌は心の支えとなってくれる。戦後そうだったように。


絵はその部分が薄いかもしれない。
絵は、それと真正面に向き合った者だけに、主に微笑んでくれるもののような気がする。
絵は、どちらかというと小乗なのである。


うちの家系は、狩猟民族的性格が強かったために
芸術系に親しむ人が多く出た。

私も越境して小学校に通ったため、地域の結びつきは断たれた。

人との関係も薄かったので、芸術や宗教にアイデンティティを見出す他なかった。


しかし、地域はなくとも、人との結びつきを見出すことは可能である。

それを、今回の地震では感じることができたように思う。


ヨガも、身一つでいればいいことを教えてくれる。


やっぱりぜんっぜんポーズ取れなかったけどね。

でも、前回よりちょっとは呼吸できたし、アクビも少なく
頭痛もほとんどなかったからよかった。


被災した東北の人でも、
「こんなの戦後に比べればなんでもない」
と言っている方もいて、すごく心強かったりする。

戦争を生き抜いた人が
こんなに頼もしく見えたのも初めてだった。

生き抜いてくれて、ありがとう。

(写真は薬局のクーポン5枚で引き換えたエクササイズマシン。
表はツイスト運動、裏ではツボ押しとバランス取りができる。
バランス取りは3日でできるようになっちゃったのでつまらないけど
ツイスト運動に励むか・・汗

体力勝負なので、イザという時に備えて体力づくりします。笑)