カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

代々木忠監督へのオマージュ

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たまには、地震じゃない話。


地震前の話になるが、(てか、だいぶ前)
渋谷の小さい映画館アップリンクに、AV監督代々木忠氏についての
ドキュメント映画を見に行った。

そこは主に自主上映映画
そして海外作品や新進気鋭のラジカルな作品を扱う映画館だが(たぶん)
そういったややメジャー系の映画も上映する。

去年知人の作った映画を見に行った時は
お客さんが5人もいなかったと思うが

この時は30人ほどが入れる部屋で
半分から3分の2くらいは入っていたと思う。

さすがヨヨチューである。


私が代々木監督を知ったのは
15年ほど前、当時通っていたメンタルクリニックで働いていた人が
監督の著書「オープンハート」を勧めてくれたことによる。

本当はそういったクリニックの関係者が
患者と仲良くなるのはご法度のようだが

たまたま彼女とは年も同じで
趣味も似ていたので話が合い、仲良くなった。

その出会いがなければ、今の自分はなかったと言える。

そして「オーブンハート」にボディブローをかまされた私は
他の著書も購入し、バイブルのように一言一句、舐めるほどに読んだ。


「オープンハート」のサブタイトルは、「自分の魂とつながる方法」。

セックス指南でもあるが
「魂とつながらないと、オーガズムは得られない」
ということだった。

魂とつながる、とは、自分の感情や思い、性質など
すべてをありのままに肯定するということである。

ネガティブなイメージを受け入れ、同化する。


これができれば、ウツ病神経症もなくなる。

つまりウツでも神経症でもよいと思うことだ。


自分にはそれが救いに見えた。


さて、映画は、ヨヨチューの行き様や映画に対する姿勢を、
今までの作品や関係者のインタビューを織り交ぜながら描き出していく。

私は5年ほどヨヨチューにどっぷりつかって、その後しばらく忘れていたが
その間監督は、ウツ病になっていたらしかった。

あんなに強靭そうな感じの人が・・と意外だった。

でも、やはりナイーヴな面があったからこそ、そういった著作も出たわけである。

ウツになったのは、監督に癒しを求めた女性たちに、すがられ続けたからである。

AVに出ていたその女性たちの中には、統合失調症の人もいた。

一目見て、なんとなく、雰囲気がヤバイ感じの人もいた。
それは何か、得体の知れないものを背負っているという意味で。

そういうものを肩代わりしてしまった、ということのような気がする。

それは自分の勝手な見解なので、そこんとこは置いといて・・


監督は女性を、そして人間を、ただ肉体的なものとして捉えてはいない。

女性がすべてをさらけ出すのを、「ああイヤらしい」だけと捉えない。
「そこがすごい、だから人間って素晴らしい」という見方をした最初のAV監督だ。

「女性が、人がすべてを出したら、とてもかなわない、
決してバカになんかできない」

明け渡すことで、オーガズムとつながってゆく。

そして、相手とつながる。

相手だけでなく、その現場を見ている人々ともつながってしまい
シンクロしてオーガズムが起こってくる。

AVを見ているこちら側にも、それが伝わってくる。

まわりに人がいなかったら、自分もその場でシンクロしていたかもしれない(笑)

他の監督やプロデューサーからは
「脱がしてやらせてナンボ」という考えしか伺えないのに対して
まったく別のスタンスで

だれもが「そんなAV売れない」と最初思ったと言う。


もっと何か、どんなことが起きてもそれを受け入れて泰然と見つめる
どーんと大きい存在

それが人間だという捉え方。

だから人はヨヨチューの前で、自分を出せる。


私の監督に対する尊敬の念は、いまも変わらない。


にしても知らなかったけど
ビデオのベータがすたれてVHSが生き残ったのは
ビデオを売る際にVHSのデッキにはおまけとして
AVが入っていたからなんだね。

出演したプロデューサーたちが言っていた。

女のハダカで計算ばかりしている人たちが・・(笑)

食ってくことも大事だけど
そればっかりってのもね。


・ ・なんか、つまんない文ですいませんm(__)m

映画は良くてヨヨチューはやっぱり凄かったんだけどもね。

写真は、映画館に併設されてるレストランで食べた無国籍料理。
スパイシーでご飯もココナッツミルク味でちょい変わっててうまかったっすよ♪