カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

ネガティブな連鎖 by 黒カノン(笑)

先日のスキーバスの事故は痛ましかった。
 

子供と同じ年代の人たちが犠牲になった。

 

しかしいきなりぶっちゃけちゃうが(笑)

ニュースを見るのを避けたいと思う一方で、どこか一部の人に対し

 

「いい気味だ」

 

と、思っている自分がいた(笑)。

 

自分的にもその感覚は

「ヤバい」

ものであった。

 
 

残念ながら、一般的に見て、素敵な感想とは言い難い。

 

しかしそういう考え方も「マインドブロック」ではある。

 

うちの子供(もう子供、って年でもないけど敢えてそのように表記する)は

就職に失敗し、このたびめでたく留年決定した(笑)。

 

つまり就職留年である。

 
 

今だから受け入れるよりないし、それはそれで貴重な体験かなとも思うし、

母とのブロックを少し解消したことによって、一時期よりはネガティブな意識は減ったが

やはりできればそれは避けて欲しかったと思っていた。

 

まだどこか引け目のようなものを感じている。

それが

「いい気味だ」

と感じることにつながっている。

 

子供の状態を全面的に受け入れていれば

そうした感覚にはならないはずだから。

 
 

実はこうした感覚は初めてではない。

子供が高校受験を失敗した際に、受かった他の子に対し

 

「死ねばいいのに」

とか、思っていた(笑)。

 
 

自分にはこんな感覚があると思っていなかったので、少しばかり面食らったが

私は本気でそう考えていた。

 

実際に手をかけることはないにしても、

そうできる機会があったら、やっていなかったかと厳密に問われれば

まったく可能性がない、とは言えなかった。

 

実際にやらなかったとしても、私の心は十分にそうした状態だった。

 

思えば、自分が受験で失敗したことはあまりなかったのである。

 

失敗が許されなかったので、それこそギリギリ極限状態まで勉強をしていたと自分では思う。

 
 

そしてある程度志望通りに受かっていたので、そうした黒い側面に出会わずに済んでいた。

 

しかし私を合格に向かわせたのは、そうしたネガティブな側面であったと思う。

 

つまり今も昔もそのあたりにおいては一貫しているのだ。

 
 

それを、子供は失敗したことによって、私に見せてくれた。

 

1度目、高校受験でクリアできなかった私に対し、

今回も失敗することで、再び立ち会わせてくれた。

 

それで私はそうした面を「消したい」と思い、ブロック解消するべく照観した。

 

しかし、心の底には

その失敗をもうしてほしくない、という思いがあるから

消えることはない。

 

やはりそれに対し、「失敗」と考え

「消したほうがいいもの」と考えているからである。

 

そう考えている内は消えない。

 

「ウツ」になったとき、「ネガティブ」にならないよう「ポジティブ」になろうとする

のと同じような感じだ。

 

ウツがネガティブでないと思ったとき、ウツは消える。

 

というより、ウツでいていいわけだから、変える必要はない。

 
 

そして、いつものように

「なぜ私は亡くなった人たちに対して悼む気持ちを持てないのだろう」

と、自責した。

 

それでまたこの感情にフォーカスすること5分。

 

すると、

「その人たちは他に悼んでくれる人がいるからいいんだよ」

という考えが浮かんできた。

 

「その人たちができる仕事をするから

あなたはそれをしなくていいんだよ」

 

ということであった。

 

それで、なるほどと思った。

 

「私にできないことはしなくていい」

「それより、自分の子供を気にすることは

自分にしかできない」

「変える必要はない」

 

つまり、このままでいいのだ。

 

だいたい、私がその人を悼んだとしても

結局、上から目線。

 

「かわいそう」

と思うことほど奢っていることがあるだろうか。

 
 

その人たちは肉体的、自我的には「不本意」だったかもしれないが

魂的に言えば、予定通りである。

 

どの人も、魂レベルでは自分の向かう先を知っている。

 

だから彼らは、ミッションコンプリートなのだ。

現世的には残念だが、魂的には喜ばしいことだ。

 
 

この事件とほぼ同時期、よそのお子様に慶びごとがあって

お祝いを述べたら、なぜかその人にいろいろ愚痴られた。

 

他の人には素直に返礼しているのに、なぜ私には・・と思ったが

 

やはり同じような心情が働いているからこのような結果になるのだと思った。

 

相手のよいことを心から喜んではいないから、というよりは、

やはり就職がうまくいかないことを咎める心理が働いているから、ということなのだろう。

 

子供に対する感情は、自分への感情とつながっている。

 

その感情をケアすることで、自分に対する残念感も払拭される。

 
 

結局すべてはつながっている。