カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

結局「いま、ここ」

前回、他の人の喜びや悲しみを自分のことのように感じて同情しなくていいといったことを書いたが

 

それは境界線の問題でもある。

 

自分の境界線、できる範囲を保っていればいい。

 
 

バンパイアと暮らしていると

彼らも境界線について誤解、というか曲解しているタイプなのかな、と思うことがしばしばある。

 
 

私のようなエンパスタイプは境界線を越えて相手をケアしようとするが

彼らは境界線を越えてケアされようとしている、ということだと思う。

 
 

つまり、やはりどこか似ている、出方が凹と凸、であるだけという気がする。

 

凹と凸だからやはり引き合うのである(笑)

 

できる範囲を守ればいい。

 

できないからこそ人が多様であるのだから。

 
 

なんでもできたら、大勢ひとがいる意味がない。

 
 

ところで今は一応まだ1月、年初めではあるので

この年のスタンスを決めたいところだが、

 

当面ワンネスに向かうのか二元論に生きるのか、決めかねている自分がいる。

 

でもワンネスとかマインドフルネスというのは求めるというより、気づくとそうなっているという状態のような気がする。

 

だからそれを目指す、というのはやはり間違っているというか不可能である気がする。

 

だいたい涅槃のような状態など

目指したところでとてもじゃないが今世に達成できそうな気はしないし

 

魂的に最終目的地と設定しているのだろうから

目指さなくても勝手にそちらを向いている部分はあるのだと思う。

 
 

スピリチュアルに生きている人で、「引き寄せ」をうたって豊かな状態を目指す

という人々もいるが、どうもそのあたりは自分的にはなんとなく違う気がする。

 

もちろん引き寄せの法則というのはどういう場合にも生きているもので

(潜在意識の様子が勝手に周囲に投影されるから)

そこから逃れることはできない気がするが

 

何かを目指すと、目指さないものも同時に連れてくる。

それが瞬時に結果として現れる状態なので

つまり、二元をエンドレスに引き寄せることになるので

 

何かを目指すというのはもう、自分的には流れとして違っている。

 

やはり2元の状態になっているものを

統合するというか、生き切るというか、経験し尽くす、ということを

続けていくことが、本望という気がする。

 
 

というわけで、先日ある方(仮にMさんとします)とお会いしたのだが

 

話しているうち、やはりそうした結論に落ち着いた。

 
 

「いま、ここ」を経験する。

 

ネガティブもポジティブもどちらも可、

だからどちらも経験し、ネガもポジもないと知る。

 
 

同じ日本語を話しながら話がなかなか通じないことの多い中で

Mさんは違和感なくそうした話ができる数少ない友人の一人である。

 
 

しかしそうした友人も10年前とは比較にならないくらい増えたので

時代の流れを感じる。

 

集合意識が変わっているからだ。

 
 

興味深いお話は多かったが

特に興味深かったのは

 

私が古い建物の写真を多くブログにupしていることについて

 

古い建物に注目する感覚が不思議、と仰っていたことだ。

 

Mさんには新しい建物の方が目につきやすいそうだ。

 
 

東京や横浜の繁華街だと、街の新陳代謝が激し過ぎて

ひと月後に行くと何軒か入れ替わっていたりする。

 

そうした中で目に着くのは

昔の威容を保つ建物

 
 

今には残らない手法や目的で作られている建物は

現在の建物とはまったく違うオーラを放っている。

 

それが古いものであるほど周囲から浮いて見える

 

ということなのだと思う。

 

私のような古い建物好きは世界中にいるらしく

そうした人々がパリに集まり

 
 

それで飽き足らない人々がローマに行く、と聞いたことがある。

 
 

確かにヨーロッパの建物は古い(例えばロンドンでも新しくて100年前くらい)というが

 

都市計画が中世(ルネサンスマニエリスム時代)からあったので街並みは一応統制が取れている。

 

多少新旧混在しても、街全体としてみれば統一感は損なわれていない。

 

しかし東京は世界中の人が(特にヨーロッパ人が)びっくりするような節操のなさで

近代的なビル群の中に二階建てがあったり、異様に古いものがあったりと無法地帯である。

 
 

私にも長いことそれが醜く見えていたが

 

でもそれも東京のおもしろさ、良さである。

 

だから過去に囚われない奇抜なものが出てくる可能性がある。

 

ヨーロッパの街を旅行で回っても、期日が限られているために

見られる場所には限りがある。

 

だったら東京の道を隈なく見ればいいのだ、と思ったことがキッカケで

町歩きをし、目ぼしい建物をカメラに収めるようになった。

 
 

東京はなかなかエキサイティングでおもしろい。

イメージ 1
(写真はMさんと入った蒲田・ニーハオに置かれていた白菜の置物)