カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

「ベーグル教」~前世の妄想

イメージ 1

ベーグルってのは・・もとはユダヤのパンだっけ?

巷には、それを猛烈に愛する人々がいるようなのである。

そしてそういった方々は、いかにベーグルが美味いか、
熱心に語って聞かせる。

語って聞かせるだけならよいが、熱心に勧められる場合もある。

ベーグル信者の中には、そういったタイプが多いような気がする。

さらに、私は食べるオンリーで、作るのは好きではないというのに
作ればもっと美味いから、と強硬に勧められたりもする。

確かにできたてであれば、いっそう美味いかもしれない。

美味いものは好きだが、しかしそこまでして美味いものを食べたいとも思わない。
怠惰が勝つ(笑)

私は美味いものを食うために努力を惜しまないわけではなく、
ただ楽して美味いものを食いたいだけである。

あくまでも「楽」の制限を受けた中での「美味いもの」で
充分なのである(笑)。

作る喜びと、食べる喜びは
つながっていたとしても、微妙に違うもののような気が
私にはする。


また、熱心であることと
布教活動を行うことも、ビミョーに違うステージのような気もする(笑)。

実は、この布教活動に大変熱心なタイプが私の母なのである。

もしかしたら他人にはしなくても、子どもに対しては熱心に、
ということなのかもしれない。

が、ものごころつく頃から、この人の布教グセには
長いこと辟易させられてきた(笑)。


そしてその、布教する素材が
比較的よく変わる。

つまり、あまりポリシーはない。

なにかにあっという間に燃え上がったと思うと
それまで信奉していたものをまったくなかったかのように捨て去る。

あれほどまで熱く蜜月を共にした仲だというのに(笑)
昨日の友を今日の敵とばかり攻撃し始める。

熱はある日突然、あっさりと冷める。

対象は本当の宗教から健康法、店、化粧品、食品にまで多岐に渡る。

そのうち、一番長期に渡ったのが「牛乳教」で
これは私の幼少時から、実に3年ほど前まで続いた。

定年後、某乳業の勧誘員をするほど、それは熱心だった。

10年ほど前、狂牛病騒ぎが大きかった時にも、まったく耳を貸さず負けなかった。

今では豆乳教になっている(笑)

私が牛乳を飲んでいないか探り
飲んでいたらやめるよう諭し
豆乳を飲んでいる自分を賛美する(笑)

それまであれほど熱心に牛乳を信奉していたことを
彼女は忘れてしまったのだろうか。


またいつもの熱か、とは思うが
それでも折に触れちくちくと布教されると
かなり煩わしいものなのである。


布教するだけならまだしも、
人の使っている同業他社の製品等を、必ず攻撃してくる。


まことに迷惑かぎりなしだが
本人にしてみれば、命を燃やすアブラなのである。

熱中している自分が好きで、なにか酔い痴れているものを持っているのが幸せなのである。

そして、「正しいこと」をしていることに、満足なのである。


人の困惑は、まったく目に入っていない。

そのあたりの割り切りは、まことにうらやましい限りである。


前世、もしかしたらこの人は私を「魔女である」と
密告した人物ではないかと思うことがしばしばある。

彼女はいつも熱心な、正しいキリスト教徒だった。


そんな気がしてならない(笑)。


写真は横浜・ムカヰベーカリーのあんぱんとレモンケーキ。
なお私は、ベーグルがどうしても美味いと思えない。
一番美味いと思うパンは、フランスパンである。