カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

埋葬とペンダントと執着

ところでネットで

ペットの死後や霊などについて検索してみた。

 

シルバーバーチの霊訓」はそうして見つけたのだが

 

他に質問箱等で

埋葬についてもいろいろな意見が交換されているのを知ることができた。

 

庭に埋めたら成仏できないのか

ペンダントに骨を入れて持っていてはいけないのか、等。

 

実際どうなのか、知る術はない。

 

飽くまで私の考えだが、どのように考えてもいいのではないか。

 

~でなければいけない、と考えたとしても

自分が納得していなければ、結局執着が残ってしまうのではないか。

 

好きなように、気のすむまでやればよいと思うのは

私だけだろうか。

 

 

家の一角に死を思わせるような場所があるのはよくない

だから庭など自宅の敷地内に埋めるのはよくない

という意見もあるが

 

正直、庭には微生物や虫などの死骸が意識はできないけれど

堆積しているはずで、

 

部屋も皮膚や髪の毛など

死骸に近いものは掃除を重ねても相当落ちているはずである。

 

それらはある程度除去して清潔に保つのはよいことだと思うが

死の概念は至るところに存在しているし

そもそも生は常に死と隣り合わせなのだ。

 

そう考えると意識するかしないかの差、でしかない気がする。

 

また、地中に埋めてしまえば自然の浄化システムがそれをゼロ状態にしてくれるはずだ。

 

敷地内に埋めてまずいのはなんらかの念が存在する

つまり殺して埋めてしまうとか、死者が不都合な状態で死に至らしめられた場合とかで

 

愛されて死に至って埋葬された分は、問題がない気もする。

 

 

すべて自然に返すべき、だから骨を埋葬せずに持っているのはよくない

という意見もあった。

 

 

しかし、人間でも実際は墓に入る場合、ツボに入れて墓石に納めるだけだから

土には帰らないので、どこに保管しているか、の差でしかないと思う。

 

私は父が死ぬまで、荼毘に伏して骨の状態になったら墓石の下、地中に埋めて土に返すのだと信じていたが、

 

実際はそうではなく、墓石内に保管されるだけなのだ。

 

さらに寺からは分骨するよう言われ、本山に教区ごとに保管されるので

やはり土には返らず、永遠に骨の形で保存される。

 

地球上の循環の摂理から言えば、やはり土に返すのが本来かなとは思うが

 

どうも日本のお寺では、それを勧めていないのだ。

 

 

だからペンダントにして持っていても、お参りできる墓が身近にあるのと同じで

差がどれだけのものなのか、考えれば考えるほどよくわからなくなる(笑)。

 

人も本人に執着がなければ49日経てば勝手に成仏するだろうし

残された側がどれだけ執着を持っても、かまわず本人は成仏すると思う。

 

当のウサギについては、ほとんど執着もなくあの世に渡っている気もするし

 

荼毘に付されてから49日以前も以後も通して

 

目の前にある骨自体には何の意味もない、としか感じられない。

 

 

私にとって大切なのは、そのウサギが家族であった事実と、たくさんの思い出と

そこに存在した愛、そしてウサギの魂、それがすべてだ。

 

すべて、形として残るものではない。

 

だから骨はそのまま気の済むまで置いておいてもかまわないと思うし

もう気が済んだと思えば好きな場所に埋めればいい(犬の場合は狂犬病などの病気があるために埋葬許可書が必要だが、ウサギなどの小動物については必要なく、常識の範囲内で判断して好きな場所に埋葬してよいから)。

 

 

どうあってもウサギが家族であった事実は消せないし

執着も経年変化するだろうが

こちらが肉体を持つ分はある程度執着するのも仕方がないことかと思う。

 

 

もちろん、こんな狭い場所に留めさせられるよりは

天国の陽当たりがいい、広々した草原のほうが

どんなに爽快であるだろう、とは思う。