カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

本分に返る(また一から始めよう)

なんとなくトンネルを抜けた感がある。

でもそれまでの交友関係は崩れたし

落ち込みの理由になった状況は変わっていない。

てか、それが決定的になり

受け入れざるを得なくなったというか


受け入れる気になったんだと思う。

頭が追いついたというか。


そして先が見えないのも
もちろん相変わらずなのだが



たまたま見たBSの番組で
イタリアの街が映っていて

ジェノバだったか
ひとりの画家が出ていた


以前収録された番組の
その後的な展開で


当時もたまたま観てたのだが


彼は同じ家で同じように画業をしていて

アトリエを兼ねた店舗は
前回映っていたか忘れたが


子どもが2人増えていた。


彼の絵は正直
これで売れるの?と思うような作風で

それをせっせと描き続けている。


それを見て
なんか、そんなに気にする必要はないんだと思った。

彼がそうだから自分もそうとはいえないし

イタリアには芸術家の助成制度等があるのかもしれないけど

彼以外にも
なんだかイタリアの人はそんなことを考えていなくて


他の世界の人々も
日本人みたいに細かいことには捉われてなくて


もっと大雑把でいいんだと思った


もっとイイ加減にしてれば
なんとかなるんだと


その後見た
弟から借りたDVDで

「宇宙に委ねるとは
考えないこと」

とあってなるほどと思った。


そして自分の方向が少し定まった気がした。



一度スピリチュアルな軸で
2012年以降に巡り会った人々が

自分の方向を定めて再び物質的世界に戻っていく中で


自分はやはり地に足はつけられないし

それではダメだといろいろな方向から言われるけれど


敢えて皆から間違ってると言われる道に行こうと思う。

自分にとってはある意味

易きに流れるで

ますます展望的には怪しいが


人生は博打なのだから。


そうして
未だかつてないほど濃く交流できた人々とも
袂を分かつ。


もともと人とつるむなど
性に合わないのだ。


また一から始めよう。


でもそう思えたのは
前回の記事でぼやいたからだと思う。

問題を書いて可視化したことで

問題が客体化され

自分と分離したことにより
解決したのだと思う。



だから書くことは大切だ。

人に話せば一時的にスッキリするかもしれないが

可視化するには適さないし

人に対して因果の「因」を放出することになるので

再び「果」、
つまり同じような状況が外からもたらされる。

つまり因果のループは変わらず続く。

ブログだと読んでくださる方がいらっしゃるので

完全にはループは閉じないかもですが・・



お読みいただき
ありがとうございます。m(_ _)m

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