カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

厚い雲のむこうに

先日、付き合いの長い友人と少しばかり齟齬があって、対話を続けていたが

彼女の一言で、人に対する感覚が変わった。



私は、いつもどこか人からバカにされていると思っていた。

だからどうしても人に認めてもらいたいと思っていた。



彼女が私に対して言ったことは、お世辞かもしれない。


しかし、それでも何か、認められていないような感じはしなかった。




彼女はものすごく優秀な人だった。

自分など努力したところで、足元にも及ばなかった。


とても比較対象の相手ではなく、だから妬むこともなかった。


ただ、なんとなくいつも笑われているような、小バカにされている印象はあった。



ナニゲに毒を吐く、彼女の性質にもよるとは思う。



それが原因ではないと思うが、同じ学校の、比較的近いところにいる人については
みな自分に対してそういう感覚のように思っていた。


私の順位はいつも下から数えたほうが早かったし、
高校最後のランク付け・共通一次においては実質ビリ(笑)だった。

本当の下敷きは、両親から認められていないという意識だと思う。


私は周囲の人たちにずっとそうした意識を持ちながら、付き合いを続けていた。


しかし夏、彼女が少し突飛な行動に出て、私は少しダメージを受けた。



彼女の行動の下敷きに、共通の友人(仮にKさんとします)の死があった。
それを知ったのはその時でなく、今回の対話でなのだが



Kさんは先の彼女(仮にYさんとします)とはタイプの違った秀才で、高校のトップ、
私がビリだった共通一次でもトップだった人だった。


そして彼女は現役で東大に行った。

彼女からバカにされていると感じたことはなく
むしろ、まあほとんどは私など意識されなかったが、

向き合ってくれている時は、常に敬愛のようなものを感じていた。



その彼女が2年前、くも膜下出血で急死した。

前日までフェイスブックでやりとりしていたので、信じられなかった。



でも翌日の日経に彼女の訃報が出ていた。

年齢も同じ、弁護士で、経歴的にも間違いなかった。



知らないところで、Yさんも私もどこか焦っていた。



もしかしたら、そこで初めてYさんと私が同じ地平に立ったのかもしれなかった。




思えば、いつもYさんは余裕をかましていた。

でも先日の対話では、その余裕は感じられなかった。


彼女の話が、ストレートに自分の中に入り込んできた。


全然彼女が私など相手にしていなかったわけではないことがわかった。



素直に、彼女の言葉に感謝した。



その感覚が、周囲の景色を変えた。


他の人も、おそらく私をバカにしていたわけではなかったと思う。




オセロの駒が裏返るように
見えるものが変わっていった。



思えば2年前、Kさんの死からひと月後、


別の友人(仮にTさんとします)との、高校時代のちょっとした行き違いが


やはりKさんがらみで払拭されたことがあった。




その時、私は高校時代にすべてを得ていたことを感じた。



当時は、家庭も居場所もすべて失っていたと思っていたのに。






この2件の、駒の裏返りで


Kさんがまだ生きていることを感じた。

自分の中で、紛れもなく感じるKさんの息吹き。




私が当時、女性であることを嘆いていた時、


女性であるからできることがあると励ましてくれたKさん。




奇しくも、彼女の誕生日は私の父と同じ。


それを告げると

「じゃあ、私の誕生日を一生忘れず祝ってくれるものとほくそ笑む」


と返してきた。





彼女はその励ましを自ら体現して、弁護士として女性のために生きた。


自分のお先まっくらだった毎日が、彼女たちの手によって
輝かしいものに塗り替えられていく。





さらに、Yさんのひとことで気づいた。



私は当時始めたことを、未だに続けていたのだ。


同じ画材で、同じ題材を描く。





すべて、持っていたのだ。




人は幸せになる材料を、すべて背負って生まれてくる。





それを見つけるか、見つけないか、それだけだ。






わざと自分で隠している。





しかし、必ずそれはある。





厚い雲のむこうに、青空は必ずある。





私が告げたいのは、それだけだ。






厚い雲のむこうに。





私は、それを告げるために生まれてきた。


イメージ 1