昨日は奇しくもKさんの命日だった。
どうもここのところ自分的に「死と再生」ブームで
昨日は初めてナマコを調理した。
調理するまでは生きているのか死んでいるのかわからなかったけど
どうも包丁を入れたら、生きていたようだった。
それでもわかりにくかったが
酢につけて食べたところ
この硬いのは死後硬直で、痛みへの抵抗だったんだな、と思った。
この世を去ることに抵抗のある個体が
死後硬直を起こす、と聞いたことがあったような。
真偽のほどはわからないが
ナマコ君が死にたくなかったのはなんとなく伝わってきた。
さらに別件だが
iPhoneの機種変更をした。
古い機種を下取りに出すために初期化したところ
新しい端末に
「『iPhoneを探す』の設定が無効になりました」
というメッセージが表示された。
なんだか断末魔の叫びのようだった。
初期化された端末の表示に
死装束をまとったような清々しさと、美しさを感じた。
なにか一つの流れが終わったような、一抹の寂しさを覚える。
寂しくても前に進まなければならない。
いや、進まなくても、どんどん辺りは変化する。
なにも抵抗しなければ、変わるのが普通なのだ。
「~しよう」とすると、パラドックスで「~でない」状態がやってくる。
だから、見ているだけ
感じるだけ
それで変わるのだ。
宇宙は、神はただ見ている。
なにがいいとも悪いともジャッジせず
手をくだすこともない。
それが宇宙で、神で、愛なのだ。
昨日、友人がアインシュタインの手紙についてFBにupしていて
宇宙を動かす動機が「愛」と
考えていたということだった。
宇宙と同化する。
宇宙の働きが、まさにそれだから。
変えようと思うなら、変えようとしないことだ。
すべての状態は愛なのだから。