カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

すでに愛も慈悲も持っている・その2

(すでに愛も慈悲も持っている・その1より続きです)


でも、全ての人が依存しているわけだから、依存は悪くない、ということらしいですけどね。

 

というか、依存状態であることが当たり前であるというか。

 

まあ、そうして関係を説明するのも、確かにわからなくはないです。

 
 

ゆえにその人によると、エンパスも依存らしいです。

 

しかし、誰を援助しているかわからないのに、そしてその人がどう反応するのかもわからないのに(いや、楽になると思うから援助するんでしょうけど)

 

さらにその人から怒られたり、悪者にされることも少なくないのに

それでも依存なんでしょうか。

 

まあ、相手がわからなくても、関係すべてを依存と呼ぶなら、それも依存なのかもしれません。

 

しかし私は釈然としなかったので、

「それは、人に対する愛である」

と、言ってみました。

 

ところがその人によると、「愛」は「神」だけが持っているらしくて

人は依存や思惑、打算などを含むので、それは「愛」ではないということでした。

 

その人のいいように、と思っていても、それはエゴなのだそうです。

 

エゴが入るところに愛はない、ということでした。

 

しかし、では親子関係も愛ではなくエゴなのでしょうか。

単なる相互依存なんでしょうか。

 

もちろん人間ですから、エゴも入ることはあると思いますし、依存もあるかもしれません。

100%の愛ではないとしても、それが愛でないと言えるでしょうか。

 

それに子どもは、すでに愛をもって生まれてきています。

 

そういうことを言ったら、

「あなたの言うことはスピリチュアル的にも論理的にもめちゃくちゃだから、

これ以上話をしたければ、有料で私のセッションを受けてください。」

と言われました。

 
 

まあ、その人にはその人なりの正しさはあると思います。

 

しかし、人を愛ぬきに語ることはできないと思います。

 

お金をもらっていたって、そこになんらかの愛があるから、仕事を続けられるのだと思いますし。

 

100%愛でないとしても、もちろん神とは違うでしょうけど

愛は愛です。

 

その人とは考え方のベースがそもそも違う気がしたので、これ以上話をするのはやめました。

 

その人によると、「子どもが愛を持っている」というのも間違いだということですし

 

愛は教わらなければ得られないとも言っていたし

子どもは親に100%依存している存在、とも言っていました。

 
 

その説は、ある高名の学者により裏付けられた説で、間違っているところはなく

またその人自身も、心理学で大学院を出たから、正しいということでした。

 
 

その人が優秀であることにも、口を挟む余地はないですし

その人においては、それが一番正しく、それについてこちらがどうこう言えることはありません。

 

しかし正しさというのは常に条件つきで、他の人には正しくないこともあるのです。

 

見ている位置も、見えているものも、育ってきた環境も、感覚もすべて違うのですから。

 

科学的論理だって、違う宇宙に行ったら全然違うものになるはずです。

 
 

ちょっと前まではバターよりマーガリンが体にいい、とか言っていたクセに

今は一番体にいい油はラードとバターだ、とか言われているじゃありませんか。

 

ぜんぶデタラメです。

 
 

万人に良い食品なんてのもありませんし、すべて限られた条件内で正しい

ってだけです。

 
 

すべて正しいわけじゃないから、自分が正しいと思っていたらいいんだ!

ってのが、「般若心経」に書かれてあることです。

 

ええ、ま、で、結構脱線しましたが、

そういうわけなので、私は慈悲や愛を生まれながらにしてすでに持っています。

 
 

そもそもすべての存在は愛、なのですから

 
 

修行して愛や慈悲を持てるようになろうとするのはナンセンスです。

 

そうした修行をしたい人もいると思うので、それは止めませんが

結局、もとから自分は持っていた、ということに気づくんだろうと思います。

 

だって神は自分と同じ姿に人間を作ったんですから。

それを愛じゃない、という方が、なんか違っていると思います。

 
 

それを得るために、この世に修行しに来ているというのは、幻想だと思います。