カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

自分をつつく自分

先日、三焦経についてカッピングして利水したという件について書いたが

同じ記事をフェイスブックに載せたところ、友人があるリンクを貼ってくれた。

 

おのころ先生という、心と体のつながりからアプローチするヒーリング関係の先生によるブログだったが、

そこでは人に感情的に共振しやすい人が、副腎系に疲れが出やすいと触れていた。

 

副腎に疲れが強く見られる人を見ていくと、他人の感情への共感能力が高い人、つまりエンパス(おのころ先生のブログでは、「エンパス」とは表記していないが)が圧倒的に多かったと言う。

 

あくまでも統計的に、ということで、どうしてというつながりには細かく触れていなかったという印象だが、要は

 

エンパス=気を使う=ストレス=ホルモン(=副腎=三焦経)に影響

 

といった感じだと思う。

 
 

これは大まかな表記で、本当は=の部分は≒になるが、いちいち入力がめんどうなので、=で代用させていただきました。

 

そもそも東洋医学では、副腎=三焦経でもないと思うし。

 
 

なんか東洋医学って、腎経=腎臓、でもないし

経絡とは「いくつかの経絡で、同じような何らかの働きをしている」

という、機能の表現であって、何かその機能を持つ単体の物質を表現しているわけじゃないらしいし。

 

そのことが理解できたのは、私にとってごく最近のことだったんですよね。

 

「腎臓が病んでるから、腎臓を治しましょう」

というのが西洋医学的な考え方なら、

 

「尿が出にくいという症状があるなら、腎経と肝経と胃経と脾経の関係を調整しましょう(実際はどうかわかりませんが)」

というのが東洋医学的なアプローチだと思う。

 
 

それはともかく、そのブログの前日の記事に、

 

脾臓を強くする方法」

 

というのが書かれていた。

 

「食事の時、良い姿勢で食べる」

というのがその方法らしく、

 

良い姿勢だと、唾液や消化液の分泌がよくなり、脾臓への負担が減るから

ということらしい。

 

東洋医学で、「脾」に溜まりやすい感情は「思」。

 

私は、この「思」が具体的に何を指すのか、ずっと理解できていなかったのだが、

 

この「思」とは、心配、気がかり、後悔、思い過ごし

といったことらしい。

 

「これは過去のある状態にとらわれて

脱出できない状態。

いまを生きてる(表現ママ)感覚に戻ってこられない状態」

 

とも表現されている。

 
 

東洋医学の「脾」と実際の「脾臓」とは、厳密には同じものではないが

働き的には同じなので、「脾臓」を鍛えればこうした思いを払拭しやすくなる。

 

で、そう知ったので、やってみたのだが

 

実は結構、自分には難しいことだった。

 

食べる時、たいてい心ここにあらずなのだ。

 
 

次に起こることを心配していたり、何かしなければならないことで頭がいっぱいだったり。

 

つまり、めちゃめちゃ「思」を使っている。

 

まず、食べ物にしっかり向き合うこと、そして味わうこと。

 

しかし、気がつけば思いが他に移っている。

 
 

で、ここで母のことを思い出した。

 

母は、私と会うと、終始自分の話をし続けている。

 

全体として見ると、母9に対して、私が話しているのは1くらいである。

 

最近は2から3くらいまでの間の時もあるが、概ね、ずっと母がしゃべっている。

 

それもつまらない話、誰がどう言ったの、それに言ってやっただの、ほとんどは愚痴のようなものだ。

 

人が楽しんでいるか、聞いてわかりやすいか、などという感覚はなく、

ただ話したいように、とりとめもない。

 

人が食べていても、ぐったりと疲れていても、おかまいなしにえんえんと

いつまで話しても尽きることはない。

 
 

父がいつも怒っていたから母はしゃべるのを抑えていたが

もし父が何も言わなかったら、母は同様にずっとしゃべり続けていたに違いない。

 
 

父の死後、付き合った人の名前を、母はよく忘れてしまうという。

 

思うに、彼らは母の言うことを、おとなしく聞いていたのだろう。

 

抵抗しなければ、母の記憶に残ることもないのだ。

 
 

同様に私はいちいち抵抗するのも面倒臭いので、黙って聞いている。

 

10年くらいまでは、それによく文句をつけていた。

 
 

でも、自分の中の怒りを外して行ったら、あまり気に障らなくなってきたのだ。

 

母といても、昔ほどには疲れないし、

昔よりは私の話を聞いてくれるようになった。

 

昔ほど母は私の言うことも否定しない。

 

おそらく、私が自分の中の感情を整理したためであると思う。

 
 

で、食べていておかまいなしにしゃべる母と、

一人でものを食べていても食事に向き合わずあれこれ考えている自分が、重なったのである。

 
 

本当はどこかゆっくり味わって食べたいと思っていても、多くの思いが

それを叶えさせようとしない。

 

自分の都合などおかまいなしな自分が、母に投影されていただけなのだ。

 
 

同様に、街中では後ろの人によくどつかれる。

 

おそらく、自分が自分を追い立てているのだ。

 
 

夫も、私の話は聞かない。

 

私が、自分の中の声を聞かないからだ。

 
 

何をしていても、気が急いて、その場にいない自分。

 

「~したい」「今のままでなく、~でありたい」

という強い思いが、自分を外に、ここでない別の場所に向かわせている。

 

つまり、マインドフルネスでない。

 

その場にいないことが、ますます足を地に着かせなくさせ

自分の境界線を甘くさせて、エンパスをひどくする。

 
 

脾臓の機能が向上すると・・免疫力を強化してくれます。

  ・これは心理的には古い自分を更新し

自分のすべきこと、他人のすべきこと、の境界がわかって、

大人としての分別が身についていく」

 

といったようなことも、記事には書かれていた。

 

つまり脾的にも、エンパス対策ができるということである。

 
 

いまここにいること、感覚を味わうこと、楽しむこと

 

「いま」というソケットに、自分がきっちりハマっていれば

自分が留守になることもなく、他人との境界を越えていくことも

少なくなるのかもしれない。