(「タテ型目線(その1)」より続きです)
しかし、今回のことで、東京と神奈川の確執というか、ヒエラルキーに関するわだかまりが、自分の中に根強く存在することもわかった。
なにしろ私は小学校から都内まで通っていた、都民言うところの「僻地民」だったからだ。
小学校のころはそうでもなかったが、中学になるとその迫害が激化して
ことあるごとに「僻地民」とののしられていた(笑)。
ここまではまだ、お遊びの範疇と言えるかもしれないが、
それでもことあるごとに、都民の横浜・川崎を見る目が、異質を見る目であるのを感じていた。
都民にとって、横浜川崎は明らかに異郷であり、普通は行かないところ、恐ろしいところという感覚が、無意識に刷り込まれているのをたびたび感じるし、
ことばの端々に、それらは出てくるのだ。
どんなに親しい人からも、そうした感覚がどことなく匂ってくるのである。
たとえば、母の
「あの横浜の、『・・じゃん』っていうの、あれ、イヤねえ。」
とか、友人の言う
「横浜で待ち合わせすると、どうもさらわれてしまうんじゃないかとか、倉庫街にマフィアがいて、麻薬の取引をしていたり、犯罪に巻き込まれたりするんじゃないかと思って、怖いんだよね。」
とか、
「今回は川崎で待ち合わせで、鶴見に行くから、覚悟して来た」
とか、
都民の友達が、
「あの区域には非水洗便所がある」
と、都内某所について話していたので
「でも、うちの方にもまだそういうところがあるよ」
と言ったら
「それは神奈川だからでしょ。23区内でそういうところがあるなんて、ねえ。」
そう言った人々のこちらに向けた目線が、なんとも言えなかった(笑)。
また、都内の男性の
「横浜は昔から一大歓楽街だったし、遊ぶところだから、みんなそういう目的で来ている。」
とか、ヤフーブログ内でも、かなりの年配と思しき男性が
「小田原や横浜を始め神奈川県には、もともと男性を相手に遊ばせるような施設が多く、私娼窟も多かったので、もともと女性もユルい」
的なことを書いていて、私が神奈川県民であることがわかったとたん友達申請をして来たりされたので、そういう目で見られているんじゃないかと疑心暗鬼になった、とか。
でも書き出してみたら、それだけ、たったそれだけとも言えるのだが、
脳は「いつもそうした目で見られる」と思い込んでいる。
特に10代の内にした経験は、無意識の中に根強く棲みついて、
同じような経験を何度も目の前に用意してくる。
で、一方で、埼玉に住んでいる人をナニゲにディスってみたり。(笑)
あの人より上だから、下だからと、タテにしか捉えられない自分の見方が、
結局あかるみに出ただけだった気もする。
自分は母と違って勝ち負けにこだわらないような顔をして、その実、無限に細かい比較をして、常に劣等感や優越感に揺れている様子が
浮き彫りにされている。
「恐れ」や「悲しみ」、「罪悪感」など、単体の感情は、まだ簡単に軽減できた方だと思うが
「優越意識」という快楽に結びついているせいか、
「妬み」や「羨み」「蔑み」などのタテ型目線は、なかなか払拭するのが難しいように感じる。