カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

タテ型目線(その1)

なぜだか、このタイミングで

母親の性格について明らかになることが多かった。

 

ずっと一緒にいたのに、それはなぜか見えなかった。

 

父親の抑えつけるようなDVがあったからかもしれないが

それももう、26年も前になくなっているのに。

 
 

先月の展示に、母が来たのだ。

 

私はずっと自分の展示について母に教えたことがなかったし、

この2年ばかりは教えるようになっていたが、母が来る時に私はその場にいたことがなかった。

 
 

でもそういえば、今回は初めて、展示場所で一緒になったのだ。

 

さらにその際、偶然ながら母の高校時代からの親友も同席していた。

 

母は、その人に私の展示について伝えていたらしいが、同じその日に来るとは予想していなかったらしい。

 

また、そこに私の高校の同期生も偶然居合わせることになった。

 
 

でも、私の同級生と一緒であったり、母と親しい人と同席することは今までもあったので、母は母のままで、今までとそう変わった印象はなかった。

 

ところが、今回は、初対面の人との顔合わせがあった。

 

展示場所である喫茶店のママを始め、常連さん方だ。

 

どなたも気取らない、そしてよそ者の私にも優しい、いい方々なのだが

  

母は自分の出身地について彼らに、得意そうに話していた。

 
 

母は、自分の生まれ育った場所を大変誇りにしている。

 

いや、下町の、どうってことはない場所なのだが

そして他の人々も、同じ東京出身なのだが

 

なんとなく、最初からアドバンテージを取ろうとしているというか

マウントしているというか、勝ちに行っているような感じに見えてしまった。

 
 

普通、娘が世話になっている場所なんだから、下手に出ない?

とか、私は思うのだが。

 

まあ、そもそも上手下手って概念が私にあるから、そうした現象を目の当たりにするのかもしれないけれど。

 

でも、そこで初対面の人に対して、虚勢を張ってどうする?

と、思ってしまったんだよね。

 

自分について、好きなところがあるのはいいことかもしれないけれど

そこ、そんなに自慢になるようなことかなぁ、とか。

 

いや、結構東京の人ってのは、わりと自分が東京出身であることをちょっと鼻にかけたり、一つ隣の町に対して、こっちはどうだとかあっちはどうだとか細かいことをいう人が多いが、

 

で、もしかしたら、よそ者の私に親切なのは、

そんなに遠い横浜くんだりからここまで通って来て、って心理が

もしかしたらあるのかもしれないけど、

 

母だって今は横浜市民だし、その娘の私も横浜市民なんだから

どこで生まれ育っても、いまさら勝負にならないよ・・てか

 

そんなところで勝負かけて、どうするんだよ・・みたいな。

 
 

で、昔、母はよく私とバドミントンなどをして遊びながら

 

「もっと早く! もっと頑張って! 覇気がないわね! 鈍いわね!

私なんか負けず嫌いだから、そんなゆっくりしてないわよっ!!」

 

的なことを言っていた。

 

そして、運動会でも水泳大会でも一番だったことを、よく誇っていた。

 

「早く走るために、運動靴じゃなくて足袋にしなさい!」

と、運動会の前日に渡されて、意味がまったくわからなかったこともあった。

 

そもそもなぜ早く走らなければならないのかがわからないし、足袋の方が早く走れるという考え方がわからない。

 

私にしてみれば、足袋の底など柔らかすぎて痛くて走れないし、少なくとも運動靴の方が楽に走れる。

 

そう思い返すに、

母はやはり、負けず嫌いだったのだ。

 

で、再び、その出身地についてことさらに話していた件に戻って考えると、

 

もともと母と親しい人は、出身地も同じだから、それについて戦うこともない。

 

また、私の同級生について言えば、子供の同級生だから、そこであえて戦うこともない。

 
 

でも、初対面のその人たちは、現在も都内在住者だ。

 

だから、自分も東京モンなんだと、主張する必要があったのかもしれない。

 
 

ここで、明らかになった母の負けず嫌いだが、

それが元にあったと考えると、母がいつも周囲の人たちとの間に抱えていた鬱憤を、私に話すことで晴らしていたことや、

 

父が必要以上に母を叩いていたことなどの理由がわかるというか、辻褄が合うような気がした。

 
 

母はやはり、六白水星の人間というか、天下を取りにいくような感じの人間なのだと思う。

 

記憶違いでなければ、六白の人は、腰の据わった家長タイプの人が多いらしく、女性だと夫唱婦随にならないので、結婚には向かないとか言われていたような気がする。

 
 

まあ、あくまで日本の家長制度においての話ではあるが、でもなんとなく母においては、わかるような気がする。

 

私ともずっとうまく行っていなかったが、そこには母が常に上にいたい、勝ちに行きたいという思いがあったため、という気が、今はする。

 
 

それで、私の言うことのほとんども、正しいと認めようとしていなかった。

 

認めたら負けると、どこかで思っていたのかもしれない。

 
 

だから私は、自分の言っていることは一つも正しくないし、

いつも母に対して悪いことをしていると思っていた。

 
 

その罪悪感や心の傷を治したら、関係は変わったのだが。

 
 

関係は変わっても、実は母の性質自体は変わったわけではなかったのだと

今回のことでわかった気がする。

 

また、母との確執が、どのようにできたのか理由がわかり、

いままでの軌跡が俯瞰できた気がする。

 

さらに、自分の感情的わだかまりさえ取れれば、相手の性質が変わらなくとも

関係は変わると言える。

 
(「タテ型目線(その2)」に続きます。)