カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

楽しむことが解決につながる

/30、9/3、9/6と
このところ、初めての人々と出会う機会が多かった。

 

どれも3にちなんだ日。

 

どの機会も、その中で一人しか既知の人がいなかった。

 

幸いどの機会も、極めて親切な方々に恵まれて

お力添えいただき、楽しい時間を過ごすことができたのだが

 

特に9月3日、アーティスト系のパーリー(笑)で

みなさんのシャレオツな雰囲気に圧倒されてしまった。

 

その主催者のTさんとも、実は過去に2回しか会ったことはない。

 

ついつい既知の人にくっついてやりすごしたくなるが

そうもしていられない。

 

ここで自分の依存体質に気づいてしまった。

 

拒否されたらどうしよう、というインナーチャイルドが出てきて

身動きがとれなくなった。

 

幸い、何らかの糸口を与えてくれるような人と

開始早々に出会うことができ、


またそうした人は案外縁が濃くて、そのパーティーの中では一番仲良くなってしかるべき人だったと後になって思うものだ。

 

つまり、誰と縁が濃いかと、初見にして分かっている気がする。

 

隣になったから仲良くなった、とも言えるのかもしれないが

 

そういう会で最初に出会う人は、会がばらけて日が経った後でも

偶然どこかで会ったりするものだ。

 
 

つまり縁が濃いからこそ、最初に隣に来る。

 
 

これは小学校でも高校でも大学でも社会人になっても、どこでもそうだった。

 
 

話を元に戻すが、そうして出会っても、その人には大勢そこでは友人がいるから、ただ自分のもとにお引き留めしているわけにもいかない。

 
 

しかし初見の人にいきなり声をかけるのは、なかなか勇気がいる。

 

そう感じない人も多いかもしれないが、私などはインドアなので、かなり抵抗がある。

 

飛び込みの営業もそこそこしたにも関わらず、やはりパーティでは抵抗を感じてしまう。

 

で、そこにいた人のうち、もっとも怖そうな人はDJをしていて、

お話ししてみたら意外に親切に応対していただいたのだが、

名刺を渡そうとしたらスルーされてしまった。

 

DJの出番が始まる直前だったのでタイミングが悪かったとすぐにわかるのだが

 

なぜか明らかに分かるはずのそうした間が、私には往々にしてわからなかったりする。

 

というより、これから手が離せないと事前にわざわざ言っていただいているのに

なんか聞いていないというか、頭が理解できていなかったりするのだ。

 

ちょっとこの辺りは、我ながらナゾである。

 

で、そのあとで、「あーやっぱりやっちゃった」となるのだ。

 
 

その方を仮にSさんとすると、その後まわりに人の輪がいくつもできて、自分とSさんだけその輪に入っていなくて、この人とお話しするよりない、という状況になっていたことがあったけど、なんとなく私はそれに気づかないふりをしてSさんを避けた。

 

そういったことが自分の中に気まずい記憶として残っていたのでもあり

悪いタイミングで迷惑をかけてしまったと恐縮してもいたからでもある。

 

その後おひらきになり、主催のTさんと、他お話しが弾んだ人には挨拶して会場を出た。

 

階下のトイレから出るとちょうどSさんがいて、後でFB申請します、みたいな感じで手短に挨拶して別れた。

 

帰宅後、会場で感じた心のザワザワ感を反芻していた。

 

特にSさんとのやりとりで、自分のトラウマが刺激されていた。

思えばSさんとは何か縁があったということだろう。

 

あそこでの自分の反応は、すべて「拒否されることに対する恐怖」から来ている。

 
 

人の邪魔をしたくない、という心と

拒否されたくない、という心はつながっている。

 
 

邪魔したり迷惑をかけたりすることは、拒否されることにつながるからだ。

 
 

拒否されたくない心は、依存そのものだという気がする。

 

つまり依存したい気持ちは、常に自分の中にある。

 

まあ、初見の人ばかりの会場で、ちょっと居づらく感じるのも

道理ではあると思うが。

 

夫と同じような「依存したい」インナーチャイルド

まさに、発見した感じだった。

 

しかし今に始まったことでなく

その子供はいままでもいろいろな場面で出てきては

私の行動をコントロールしている。

 

気づけた時が潮時なので

少しその子供を癒した。

 
 

Sさんのデザイン事務所は、今の私の展示場所から目と鼻の先にあり

展示を見に行くと言ってくださった。

FBで見たら、学部は違うが同じ大学出身だった。

 

依存について、からまった糸が徐々にほぐれつつある。

魚座満月の影響かもしれない。  

 

しかし、このパーリーで知り合った人はほとんど美術系で、

美術系の人間というのは、自分の作品にしか興味がない人がほとんどだから

(これが建築系だとちょっと違うのだが)

FBでも「いいね」してもらえることは滅多にない。

 

それでも「いいね」してくれるのは、よほどの親切な人と相場が決まっている。

で、やっぱり、いるんだね、そういう親切な人は・・。

 

そういう親切な人と、自分でいっぱいの人をすかさず見分けて近づいていくというところにも、依存を感じるし、バンパイアに通じるなにかを感じる。

 

まあ、一人でそうしたパーリーに乗り込んでいっただけでも、とりあえずヨシとするか・・

厳しい目ばっかりでもね。

 

後半はDJタイムが興じてきて、ダンスするに任せていたら

他の人々も乗ってきて、細かいことはどうでもよくなってきた。

 

形はどうあれ、楽しめばいいのだ。

 

楽しむことも表現であるから、他の人にもつながれるし、お互いを解放できる。

 

結局楽しむことが、すべての解決になるのだ。