カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

後から気づく愛 その1

昨日出かけて

その家のトイレのスリッパを履いて出ようとした時

 

「便所スリッパのカノンちゃん」(笑)

 

と呼び始めたのは

友人(Yさんとします)のお母さんだったと思い出した。

 

先日亡くなった方だ。

 

その席で、

Yさんに約30年ぶりに会った。

 

私は浪人して大学1年

彼女は2年で、その後彼女は大学を中退してスチュワーデスになり

それ以来会っていなかった。

 

変わっていなかった。

 

旦那さんやお子さんたちも一緒で

立派なご家族になっていた。

 

お焼香に立った時

彼女も気づいてくれた。

 

電話や手紙では連絡を取り

「会いたいね」

と言っていたのだが

 

こういう形で会うとは思っていなかった。

 

久しぶりの再会に

それだけで胸がいっぱいになってしまった。

 

悲しい席ではあったが

彼女のお母さんは女子校からの慶應ガール

 

体育会の某部OGとして晩年まで活躍され

多くの仲間が参列し

 

出棺は校歌斉唱で、お母さんらしいお式だったと思う。

 
 

思えばYのお母さん(以下Wさんとします)ほど

明るく集まり好きな人は他にいなかった。

 

社交的とはこの方のためにあるようなことばで

社交界の華と言えるような人だった。

 

気取りがなく、妬みや悪意のようなものを持ち合わせていなくて

いつも快活だった。

 

マンション住まいだった時も

大勢の人々がいつも集っていた。

 

遊びにいくと

「カノンちゃんはおもしろいね」

と、いつも私といることを楽しんでくれた。

 

母にほめられたことがなくても

この人はいつもほめてくれた。

 

上から目線とか卑屈とかいうことはなく

いつも誰とでもフラットだった。

 

私は描いたマンガを

Wさんに見せていた。

 

母になど見せることは絶対なかったが

Wさんはおもしろがってくれた。

 

目立たない形だったが

家庭での自己否定感から救われていたのは

Wさんの力が大きかったと思う。

 

本物の愛には、後から気づく。

 
 

失ってから気づく。

 
 

生前にはお礼も言えていなかったと思う。

 
 

私のいた小学校には

こうした形で援助してくださった多くのお母さんがいて

 
 

特に印象に残っている方が

他に2人いらっしゃるのだが

 
 

そのうちのもうお一方がいらしていた。(その方をMさんとし、残りのもう一方をSさんとします。)

 
 

Wさんとも親しく、母親の毎月の集まりに参加されている方だが

 

Mさんは主に芸術的なことで啓発してくださったと感じている。

 

家にお邪魔するとお菓子などを作らせていただいたり

工作などもさせてもらった。

 

そしてコンサートや演劇、遊園地などに連れて行ってもらった。

 

特に印象的だったのが、当時確かよみうりランドで行われていた

「水中ショー」

 

人魚等に扮した俳優が

水中で劇をする。

 
 

「こうしなさい」

ではなくて

「なんでも楽しいことを見つけて一緒にやろう」

というリベラルな雰囲気が大好きで

お宅に遊びに行くのが楽しみだった。

 

Mさんにはそれらに対するお礼を

Wさんの式の当日、伝えることができた。

 

Mさんも喜んでくださった。

 

もう一人の方、Sさんは

最近になってそうした付き合いをもうしないという宣言をされたので

お目にかかることはできないと思うが

 

伺うといつも何かしら絵や工芸など創作活動をしていて

クリエイティブなもてなしをしてくれた。

 

Mさんがどちらかというと音楽系なのに対し

Sさんは美術系だった。

 

そういった方々だけでなく

どの友人の家に行っても、様々な趣向を凝らしたもてなしがされて

友人のお母さんたちにも育ててもらった、という意識が強い。

 
 

でもその体験が特殊なものだと知ったのは

子供が小学校に入ってからだった。

 

また、中学から受験して入ってきた高校の友人と会った際

お子さんからの電話に

Dちゃんはお家に呼んじゃだめよ! 外で遊びなさい。

あの子はうちに来るばかりで

お菓子も食べるばっかりだから。」

 

と言っていて、ビックリした。(続きます)